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濁浪清風
宿業を大地として(16)

  一般の仏教の発想は、仏陀が指示する無為法(むいほう)、すなわち大涅槃へ自己の努力を尽くして至り得るとする。それに対して、親鸞は徹底的に自己が無能であり愚痴であり、その方向を阻害して止まない罪悪や煩悩を生きる存在であるという智見に立つ。

  例えば、天親菩薩の『浄土論』の五念門行や如実修行という事柄に対しても、一般の仏教の立場なら、自分で努力してこれに相応しようとするであろう。しかし、親鸞は曇鸞の「有漏の心より生じて法性(ほっしょう)に順ぜず。いわゆる凡夫人天(にんでん)の諸善・人天の果報、もしは因・もしは果、みなこれ顛倒(てんどう)す、みなこれ虚偽(こぎ)なり」という押さえを厳しく自分に突きつけ続ける。自分には、法性に相応できるような可能性はまったく無いのだ、と。

  それなら、天親菩薩の『浄土論』は、いかにして衆生に可能となるのか。それを可能とするためにこそ、『無量寿経』の本願の教えが発起(ほっき)するのだ、自己の救済の必然性としてこの道理を取り入れるのだ。たとえ求道心がつまずこうとも、救済への深い要求は諦めきれない。むしろその深い要求をこそ、如来回向の欲生心と仰ぐのである。自分の思いよりも深く、大悲願心がわれらを救うべく歩み続けてくださっていたのだ、と。

  この存在論的な求道心は、表層意識に自覚される救済への要求よりも深く、意識の深層に静かに動き続けている。表面の意識には自覚されないけれども、何かの機会に、あたかも湖の底から吹き上がる湧水のように、われらの生活意識の隙間に垣間見えるものであろう。それが、われらには、生活の不安感となったり、欲求不満の愚痴となったりするのではないか。

  こういうわけで、天親菩薩が五念門を「善男子・善女人」の行のごとくに表しているものを、親鸞は『大無量寿経』に照らして、この行を法蔵願心の「兆載永劫」の行と仰いだ。たとえば、五念の第一の「帰命(礼拝門)」を、善導が「発願回向」であるとする釈を受けて、「「発願回向」と言うは、如来すでに発願して、衆生の行を回施したまうの心なり」と行巻に註釈されるごとくである。

  そして、「如実修行」については、曇鸞が「体、如にして行ずれば、すなわちこれ不行なり。不行にして行ずるを、如実修行と名づく。」と注釈しているから、如実修行に相応することは、煩悩具足の凡夫にできるはずはなく、どうするのかと言うときに、曇鸞が「如実修行相応は 信心ひとつにさだめたり」と示されているのだ、と見抜いたのである。(続く)(2017年10月)

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