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濁浪清風
横超の大誓願(14)

  真実信心の発起とは、「信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す」(聖典210頁)と「信巻」別序に押さえられているように、本願力をその根本の原因とすると、親鸞は言う。邪見の凡夫からは、真実の信ということはあり得ないと見ているからである。「煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば すなわち穢身すてはてて 法性常楽証せしむ」(善導和讃、聖典496頁)と詠(うた)われるように、「煩悩具足」と信知することは、本願力を信ずることと表裏一体であり、自己の真実の相を知ることには、願力に出遇うことが必要不可欠なのである。

  しかし「煩悩成就のわれらが 他力の信」を得るということは、自力の妄念に動機づけられている我らには、難中の難である。この困難性を突破する機縁は、法蔵願心が我らの煩悩の身の足下に、「兆載永劫」の忍辱を持続することにあるのだ、と感知するところに『無量寿経』の物語が意味をもつのである。この因位のご苦労を、我が身のためであると「聞く」ところに、「我が名を聞け」という教えが響いてくるのである。

  この因位の本願の意味を聞き当てることにおいて、「聞其名号 信心歓喜」という言葉が、衆生における本願の体験の事実となる。これによって「如来の回向に帰入して 願作仏心をうる」(聖典502頁)人が誕生するなら、その人は「他力」の大菩提心をいただけるのであるから、「十方の衆生」に普遍的にはたらき続ける法蔵菩薩の因位本願の大悲に帰依することになる。親鸞の表現の分からなさは、この大悲のはたらきがあたかも完全に現在の現行(げんぎょう)として、「利益有情」という事実を、凡夫から見えることのように語っていることである。

  そもそも「利他」とは、仏力にのみ成り立つというのが、親鸞の真実信心の視点である。全面的に衆生利益は如来の作用であると認めるのである。凡夫には絶対に煩悩具足の身で、仏道の「救済」を完遂することはできない。有限の関係において有限的に一部分の手助けはありうるが、仏道の済度(完全な仏の正覚を施与すること)は不可能なのである。「自力の回向をすてはて」(聖典502頁)るとは、この事実をしっかりと信受することであろう。

   その信心には、「煩悩具足と信知して 本願力に乗ず」ることにより、本願が表している願力成就の報土の風光が、光明摂取の生活として眼前に開示されてくるのではないか。「如来の回向に帰入して」と和讃が語ることは、「如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまいて 大悲心をば成就せり」(聖典503頁)との和讃のように、如来が大悲を成就していることを認めることである。それは現実の我らから、いかなる意味があることなのであろうか。(続) (2019年7月)

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