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濁浪清風
宿業を大地として(23)

  我ら衆生には、各々に身体と環境(自然環境や時代社会など)が与えられている。この身体と環境を生きている各人の主体は、「宿縁」と言われているような背景を生きている主体でもある。この主体を、阿頼耶(あらや)識という。この主体に、この世を超えた「一如法性(ほっしょう)」への志願が目覚めることが、いかにして可能であろうか。そもそも、広義の環境(これを仏教では三界という)への強い関心に縛られているとも言える我らの意識に、この世の環境ではないこと(三界を超えた仏土)への関心などが芽生え得るのであろうか。いわゆる浄土教的表現で言うなら、煩悩具足であり罪業深重なる身をもつ我ら衆生に、純粋清浄なる仏土への願いなどが、発起するのであろうか、という問いである。

  この問いを自己の身における絶対の矛盾として苦しみ続けたのが、親鸞であった。親鸞にとっては、「真実信心」が自己に起こることは、不可能なることが現に眼前に発起してくる不可思議を、いかに了解し表現するべきかが問われていることでもあった。この問いをあらためて問い直したのが、曽我量深だったのだと拝察する。そして、親鸞が「如来の回向」、すなわち他力回向として本願力のはたらきを受け止めたことを、法蔵願心が我そのもの(曽我自身)になって我を救済するのだ、といただいた。そして、それを「法蔵菩薩の降誕(ごうたん)」であるとまで表現したのである。

  『無量寿経』の物語を、自己のための救済の事実表記であると受け止めたのが、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」という親鸞の表白である。それと同じように、曽我量深にとっての法蔵菩薩とは、単に『無量寿経』の物語の主人公ではなく、自己となって自己を救済せずにはおかない大悲心そのものなのである。法蔵菩薩が個人の宿業を担う主体にまで降りてくださって、我を立ち上がらせている根本主体になってくださったことが、自己の信心なのだと受け止めたのである。

  このように、自己の背景に「遠い宿縁」を感得するとき、自己に乗っている無始以来の罪業の歴史が、その背後に寄り添ってきた大悲心それ自体のはたらきを呼び起こし、願心の回向が願力成就の事実として感得されることになる。これによって、嫌悪されてきた業報こそが、真実信心を呼び起こし金剛心として正受される縁に転ずるのである。ここに、宿業が信心の生活の大地となることを得る。まさに「転悪成善」が成立することを、露(あら)わにするのである。(了)(2018年4月)

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