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濁浪清風
宿業を大地として(14)

  私たちは自分の生活経験が蓄積されることによって、自分自身を作り上げてきている。その蓄積される場所、すなわち業報を引き受ける場所は、衆生の日常生活を成り立たせている意識(六識)において考えるのは無理である。感覚器官の五識は言うまでもないし、第六意識は善悪の判断や合理的な行為決断はするが、その結果を引き受けることはできない。しかしながら、私たちの主体には、どれほど嫌いな経験をも黙って引き受けているという事実がある。何がこの経験の蓄積の根拠なのか。この難問に応えるべく、唯識思想は深層意識に業報を引き受けて、黙って自己を成り立たせているはたらきがあることを見いだした。それを阿頼耶(あらや〈蔵の意義がある〉)なる意識としたのである。

  『三十頌唯識論』では、この阿頼耶識を語る偈文に「恒転如暴流(恒〈つね〉に転ずること暴流〈ぼる〉の如し)」と言うことを語っている。親鸞は善導の「横超断四流(おうちょうだんしる)」という偈文を『教行信証』「信巻」で註釈するなかで、その「四流」とは「生・老・病・死」でもあるし、『涅槃経』によって四暴流(「欲暴・有暴・見暴・無明暴」)でもあると言われている。これに照らせば、阿頼耶識の「暴流」とは私たちの流転の生活内容でもあるし、特に無明の闇の生活を表していると言うことができよう。この無明の黒闇は「恒転」と言われているように、宿業因縁のはたらきを受けて、止むことなく流れゆく暴流のように、理性で計算したり好悪で判断したりすることを突き抜けているのである。

  暴流による苦悩の実存を、黙って引き受けて生きている主体が阿頼耶識なのである。この根本主体から六識が立ち上がり、そしてその経験の一切を阿頼耶識に熏習(くんじゅう)するのである。この熏習を一般には経験と呼んでいる。経験は業因縁(ごういんねん)によって与えられつつ、またこの経験がかえって自己を作っていく。自己は、自己にまで成ってきたものであって、初めから自己というものが存在していたのではない。経験の蓄積する場所が阿頼耶識であり、経験の結果成り立っているのが自分自身なのである。

  その自分に無明を突破せしめる経験が起こりうるか否か。清浄な経験を起こしうるとし、自己自身の本質に清浄なる法身を取り戻すような本質が与えられていると信ずる立場から、自力聖道の菩提心が発起する。それに対して、徹底的に自己の本質を「罪悪深重煩悩熾盛(ざいあくじんじゅうぼんのうしじょう)」と感じ取り、「穢悪汚染(えあくわぜん)・虚仮諂偽(こけてんぎ)」であると知らされる立場から、本願力を信受する聞法が始まる。と言うよりも、自力の努力意識から出発したあげくに、この世の努力では自己を浄化できない事実に、徹底的に降参して、本願他力に帰するのであるというべきなのであろう。(続く)(2017年7月)

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