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濁浪清風
「願に生きる」ということ(4)
   本願成就の信心は、「本願を信受する」という形で、我らに宗教的事実を興起せしめる。その宗教的事実を、一般的には救済と言い、仏教一般では「悟り」とか「菩提」などと表現し、浄土教では「往生浄土」と表現しているのだと思うのだが、それぞれその歴史において、内実や表現が微妙に異なっている。大悲の本願において探求された一切の凡夫の宗教的救済の事実とは、「本願成就の真実信心」であるというのが、親鸞の宗教的救済の信念であるということである。

  それが真実の信心であるということは、我らの自力が決して混じらないということである。その獲信は難中の難と言われるように、我らに厳しく自己吟味が問われてくる問題である。第十八願文が「欲生」を呼びかけるときに、人間の条件を加えていないということは、我らの自力は不必要なのだと知れ、ということである。これが、自力の妄念(これを善導は定散の自心という)に生きている我らには、まったく取り付くしまがないように映るのである。真実の信心とは、我らが無想離念(定心の極地)になることでもないし、単なるあなた任せで無責任になることでもない。本願が名号を選んだのだからと自分で名号を称することを功績にする(散心)ことでもない。

  本願力が呼びかけることに、全面的に信順せよということである。それは、仏願力が衆生に「根源的な存在の満足」を与えようとすること、つまり仏道で言うなら「大涅槃」を開かせようと願っていることに、全面的に信頼し随順することである。

   本願の成就として衆生に宗教的事実が成り立つことを、「前念命終」と言うのだ、すなわち自力妄念の生命の終嫣を「命終」というのだ、とされたのである。そのことを善導の『往生礼讃』の「前念命終 後念即生」という表現に、親鸞が見定めたのである。そして『愚禿鈔』(聖典430頁)では、「後念即生」とあるところを、本願成就文の「即得往生」で押さえてある。

   その表現に先立って、信心の内実全体に「真実浄信心は、内因なり。摂取不捨は、外縁なり」(聖典同前)という言葉がある。これは阿弥陀如来の光明摂取を受けて、信心には先に述べてきたごとき「絶対満足」の生活が成り立つことを言わんとしているのである。ここに、「内因」とあるのは、「信巻」冒頭の大信心の十二徳に置かれた「証大涅槃の真因」の意味の「因」を言っているのである。この因の果となるものは、「大涅槃」だということである。

   この因果は、言うまでもなく本願の誓う因果である。大乗仏教が「煩悩即菩提 生死即涅槃」と正覚のありかたを押さえたことを、法蔵菩薩の本願が浄土建立の物語の因果によって、一切の凡夫の上に成就すべく、立ち上がったと親鸞は見たということである。(続く) (2020年10月)

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