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濁浪清風
宿業を大地として(19)

  曽我量深の言う宿業本能を、安田理深は宗教的本能ととらえ直し、我ら凡夫の深い宗教的要求であり、それが親鸞の押さえる本願の欲生心であることを確認した。国土を建立して「我が国に来たれ」と呼びかけているのは、それが実は我ら衆生において宿業と感知されるような宗教的要求なのであり、自我の煩悩がらみの要求よりも深層に、気づきを待ってうずいている「自己回復」の希求なのだ、ということを明らかにした。無明の自我心が動くところに感じられる苦悩や悲哀を突破して、存在の根底に存する自己実現の願いを掘り当てようとする意欲を自覚させずにはおかないのが、如来の本願であるということなのである。真実の願いとしての深層の自己回復への意欲を、如より来たる真実のはたらきとして、如来の本願の欲生心と教えているのだ、と信知するのである。

  その法蔵願心が「国土」を選び取ろうとするのは、我ら衆生にとって、我らを取り巻く環境との関係にこそ、生命の必然としての宗教的要求の自覚契機があることを、教えようとするからではないか。それは、生命が環境を感受して、それに対応する存在だからであろう。環境をぬきに存在自体があることはできない。いのちがあるということは、必ず身体があるということであり、身体には機根があたえられている。人間の場合は、六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)、六境(色・声・香・味・触・法)、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と言われるように、環境を感受する意識が起こるとき、それを感覚する機根がはたらく。それは必ず身体の機根を通すのである。たとえば、眼識は眼根において、見る作用を起こし、色や形を見るのである。

  機根を通して感覚される境を、総合的に自己の環境として生きている意識作用がある。環境と身体を感覚する意識、それは寝ても覚めても持続する自己統一作用でもある。それは決して、理性とか目覚めているときのみの意識作用ではない。むしろ根底にはたらく自己存在それ自身であるような意識。これを阿頼耶識(アーラヤ識)と名づけて、この深層の意識を、生命それ自体を支える作用であるとしたのは、唯識思想であった。

  すなわち、その阿頼耶識とは、環境と身体を自己の内容としている意識作用なのである。さらには、それに加えて経験を蓄えるのも、この阿頼耶識である。アーラヤとは、蔵という意義をもつとされる。この意識の蔵には、無始以来の一切の生命経験を蓄えている。この蔵、すなわち阿頼耶識は、一切の迷妄の経験を蓄積して、そこからまた新たなる経験を生み出し続けるのである。(続く)(2017年12月)

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