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濁浪清風
「願に生きる」ということ(7)
   一念の信心は、具体的には称名念仏において感受される。それが本願成就文に「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」と語られる事柄である。すなわち名号を体として、真実信心が行者に発起するのである。この一念の事実の因縁を内観して、行・信ともに如来の本願力回向であるといただいたのが、親鸞であった。したがってこの回向による信の一念は、行の一念を依り処として、具体的事実として立ち上がるのである。すなわち信の一念は、行の発起とともにそれに付記するごとく発起するわけである。

  「念々称名常懺悔」と言われることがあるように、称念のところに信心が施与されるごとくに発起するわけである。その一念の信に、超越的な内実が付与せられるというのは、いかなる事態なのであろうか。この問題展開が、「信巻」において「横超断四流」(聖典、243頁)の問題として論じられているのである。

  この超越的事実は、『大無量寿経』において、「必得超絶去 往生安養国 横截五悪趣 悪趣自然閉」(聖典、57頁)と言われている。それを受けて善導が『観経疏』の偈文でこの問題を取り上げて、「共発金剛志 横超断四流」と表現されている。それを親鸞は「信巻」に取り上げて(聖典、235頁)、「金剛」が願力回向の真実信の質であると論じた後に、この「横超断四流」を「一念」の信心の内実として明らかにしてくるのである。

   この超越の事実は信念の内実である、と押さえる親鸞の確信は、超越がどこまでも本願力に依るというところからきている。この横超による超越とは、生死の迷いの生活から涅槃の覚りへの、本願の信心による超越ということである。ここに言われる「生死」と「涅槃」の関係は、大乗仏教において「生死即涅槃」と言われる根本テーマである。それについて「正信偈」には、「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」(聖典、206頁)と押さえられ、さらには「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」とも言われている。

   ここに押さえられているように、一念の信心が起こるとき、「生死即涅槃」と言われる大乗仏教の「正覚」の内容に相応する事実を、本願の信心において十分に語りうるのだと、親鸞は丁寧に述べているのである。しかし、愚かな我ら凡夫に、いかなる形でその内実が与えられるというのであろうか。それに関して、先に挙げた「能発一念喜愛心」と「共発金剛志」とにある「能」と「共」の文字を手掛かりに、問題を掘り下げてみたいと思う。いずれもその内容は、愚悪の凡夫には成り立ちえないような事柄だからである。(続く) (2021年1月)

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