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濁浪清風
宿業を大地として(13)

  衆生(sattva)は「異生(いしょう)」と翻訳される場合がある。それは、みな等しく五蘊(ごうん)所成ではあっても、人間存在の現実的在り方は、それぞれ異なっているからである。その異なりの原因を、宿業因縁であると自覚してきたところに、たぶん「異生」という訳語が選ばれたのであろう。もっとも、衆生ということにも、ただ数が多いというよりも、それぞれが異なっているからだと見ることもありえよう。衆とは、「もろもろの」ということであるが、同じ単位が繰り返されるということのほかに、異なる単位がたくさんあるという意味もありうる。この言葉には、したがって複数を示すだけでなく、集団のなかにある差異性を示しているとも言えると思うのである。

  生存の異なりがあることから、さまざまな差異が生じ、その差異について比較する煩悩(慢)があることから、人間存在の「差別的」で不幸な事態が繰り返されてきた。比較心はコンプレックスを生み出す。このコンプレックスには、優越感と劣等感があるけれども、さらに仏教は「等慢」ということを言う。つまり、人間が宿業存在であるかぎりにおいて、同じだということにも実は比較する煩悩が付いていて、いつでも優劣のコンプレックスに変じうるということである。

  そういう煩悩である慢の根底を突き破って、必ずや平等の視点を与えたいという願心が、法蔵菩薩の「十方衆生」への勅命となっている。「我が国に生まれんと欲せよ」という欲生心の呼びかけを「勅命」と親鸞が言うのは、願心に酬報した場所(報土)への意欲には、衆生に真実の平等への眼を開く力があるからであろう。

  曽我量深が「宿業本能の大地」という言葉を感得したのは、衆生に差異を与えてくる根本原因である宿業にこそ、法蔵発願の大悲の深い意図とその課題を成就せんとするかたじけなさがあると見たからに相違ない。無明の闇をこそ法蔵願心のはたらく場所だとする曽我の表現も同じ問題意識からきているのであろう。衆生が無明に覆われた閉鎖的存在であることには、自我の壁を築いて孤独の悲哀に陥るのみならず、衆生同士の連帯意識があっても、それが必然的に他の衆生との間に壁を築いてしまうことが起こりうるのである。この壁が、団体同士の争いや国家間の戦争にさえ発展してしまうのであろうと思う。親鸞が「大信海を案ずれば、貴賤(きせん)・緇素(しそ)を簡(えら)ばず、男女・老少を謂(い)わず、…」と言うのは、本願の功徳に触れるなら、法蔵菩薩の大悲心が一切の差異を貫いて平等たれと呼びかけてくるということなのだと思う。(続く)(2017年6月)

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