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濁浪清風
横超の大誓願(1)

  人間は単にこの世の時間を平面的に生きているのではない。ここでいう「平面的」とは、ただ単に健康に幸せに現在に満足している生き方を言う。これでことが済むのならば、人間には決して「宗教的」な意欲などは起こらないであろう。人間に宗教的な問いが起こることは、人間には自己の生存の限界を知らされるということがある。人間以外の生物には、自己を問うことも起こらないし、生きていることの限界を知ることもない。

  このことは、人間に生まれたことの特典でもあるし、同時に人間として生きていることの深い悲しみでもある。自己の限界を知ることとは、人間存在の有限性を知ることであるし、それが「一切皆苦」に帰結せざるをえないということでもあるからである。

  真実の宗教的自覚といわれるものは、避けることのできない苦悩を抱えて生きることに出合いつつ、その有限な生存に絶望するのでなく、有限存在を機縁として、存在を支える「無限なるもの」に触れようとする意欲において起こる自覚なのであろう。宗教的意欲とは、この世にただ単に満足しようとすることを求めるのではなく、有限性の悲しみにおいて、この世を超えて満足したいという方向をもつことなのである。

  しかし、こういう表現には、どうしてもある種のわかりにくさが伴う。そのわかりにくさとは、有限性の自覚のわかりにくさとともに、平面的なわかりやすさでは届かない人間の悲しみがあるからなのであろう。こういうわかりにくさの内実を、「平面的」に対応して「超越的」と言う。

  人間の有限な知覚や知恵に対し、それを超える方向の超越性を、インド由来の仏教ではさしあたって六神通として教えている。その通力とは宿命(しゅくみょう)・天眼(てんげん)・天耳(てんに)・他心(たしん)・神足(じんそく)・漏尽(ろじん)についての人知を超えた知恵である。人間の六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)で到達できる感覚能力は、まさに有限そのものである。それを突破して、時間空間的に無限大の彼方(かなた)に起こる事柄をも見抜く力を言うのである。

  この神通力の中に、特に他心通ということが置かれている。言うまでもなく人間は単独で存在しているものではない。他人と共に生きている。共存在とも言われるような、時代を共にし環境を共にしている存在である。しかしながら、その一緒に生きている命において、「他」なる存在をしっかり受け止めて、相手を理解することほど困難なことはないのである。そこに、この他心通という能力が大きなはたらきであることを知らされるのである。

   この意味の無限な能力とは、確かにいわゆる有限性を超越するとも言えるのだが、この無限性はいわば、「平面的」な方向の無限性なのである。(続) (2018年5月)

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