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濁浪清風
意欲の異質性を自覚せよ、と。――願のままに成就しているとは(6)
   親鸞の自覚は、人間とは「煩悩成就の凡夫」である、とする立場である。決して、衆生は本来仏である、というような楽観的な、いわゆる天台本覚思想などではない。むしろ衆生自身には、成仏の可能性すら無いとする自覚なのである。善導の深信釈(機の深信)にあるように、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来(このかた)、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」(聖典215頁)と、徹底的に自身の罪悪と愚昧を自覚していくのである。

  だからこそ本願力に依るほかには、無明煩悩を超え出る方法はないと、決定して信受する。その衆生に本願力は、普遍的な誓いを通して「念仏衆生 摂取不捨」と呼びかけている。確かに原理的にはそうなのだが、それに反逆し、その平等の救いを疑惑して、限りなく自分の力で無明を超え出ようと、愚かにも分別して止まないのが、また凡夫なのである。

  この疑惑を晴らすのは、願力の因縁がいわば背後からささやきかけ、深く存在を震動する地震のように作用して、不思議な事実として「獲信」という事態を発起せしめるのである。親鸞はこの獲信の根拠も本願力の回向成就(本願自体の自己表現)であると言う。しかもその獲信の事実は、煩悩具足の存在において「能発一念喜愛心」(正信偈)として「能発」的に発起する。その発起の「能発」の根拠は、自分自身にはあり得ないから、他力の回向だと言うのである。その願力回向の事件は、かならず五濁のただ中でこそ発起する。決して五濁悪世を避けるような条件を必要とはしない。だから五濁を厭い安楽な場所をこいねがう、「厭離心」や「欣求心」は、自力の思念なのだと見るのである。

  ここにそれまでの浄土教が条件のように語る「厭離穢土 欣求浄土」とは、一線を画する親鸞の「願生浄土」の領解がある。本願が呼びかける「欲生我国」を、如来から衆生への絶対命法であり、その意欲それ自体が如来の表現回向だとまでいわれるのである。

  これに照らして考察するなら、因の願とその成就は、阿弥陀の側からはすでに成就しているのだが、その成就の事実は、衆生に獲信の事実が起こるときに、初めて現実に知られるというわけである。換言すれば、いかに本願が成就していようとも、衆生にはそれが一向に見えない。それはたとえば、「一切衆生悉有仏性」(『涅槃経』)という大乗仏教の根本標識は、仏陀からは言えることだが、凡夫からは煩悩で眼が覆われているから見ることはできないのだ、と教えられるのである(『教行信証』「真仏土巻」所引の『涅槃経』、聖典312頁参照)。(続) (2020年2月)

2020年1月に研究員によるエッセイ「今との出会い」が、2020年2月に本多弘之所長書下ろしコラム「濁浪清風」がそれぞれ200回を迎えたことを記念して、200回記念記事を掲載いたします。以下よりぜひご一読くださいませ。

「濁浪清風」200回記念特別コラム
「絶対現在」の思想――「濁浪清風」を読む (親鸞仏教センター嘱託研究員 越部良一)

「今との出会い」200回記念特別エッセイ
人生における時の厚みと深さ (親鸞仏教センター所長 本多弘之)

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