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濁浪清風
宿業を大地として(12)

  法蔵願心は、まず衆生に業報(ごうほう)の差異が存することを感じ取り、具体的に衆生に欲生心を呼びかけるにあたって、諸行を修することを明らかにされた。しかし、それは有限なる衆生に自力の努力を要求することになるから、努力の果てに自分の無能と愚かさと煩悩(ぼんのう)の深さとに気づかされて、この道を終点まで行くことはできないことをいやでも知らされることになる。

  この意味で『観無量寿経』の世尊の説き方は、まさに法蔵願心の第十九願の意図と重なるのである。『観無量寿経』を説こうとされた教主世尊は、愚痴深き韋提希(いだいけ)夫人の事情に単に同情するのでなく、沈黙のなかにいかに大悲の意図に導くべきかを考察されていたのであろう。この『観無量寿経』の本当の意図(仏の密意)は、実は「念仏」にあったのだと善導は読み取られた。『涅槃経(ねはんぎょう)』記載の阿闍世(あじゃせ)の物語にあっては、業縁の深さに泣く阿闍世の救済に、世尊は静かに月愛三昧(がつあいさんまい)に入って阿闍世の気づきを待ったと伝えられているのである。努力や論理の操作、さらには言葉による説得では、阿闍世が犯した親殺しの罪に対する罪悪の自覚から来る心身の病を癒やすことはできないと見られたのである。

  この『涅槃経』が伝える阿闍世の救済の本質は、『無量寿経』の本願に照らすなら、第十九願によるのでなく、第十八願に誓われる欲生心の成就によるのだ、ということが親鸞の見方であった。第十八願の「欲生」は、衆生の側からの意欲を誘う言葉ではなく、如来が衆生を如来の国土たる大涅槃の大地に呼び返す「招喚(しょうかん)の勅命」なのだ、と言うのである。

  親鸞のこの解釈の意味は、真実の宗教的要求とは、仏陀の教える真実の実在(すなわち法性)からの呼びかけなのだ、ということである。この宗教的要求を凡夫のあり方から言うなら、凡夫にとっては「他」としか言えない、何らかの意味で凡夫とは異質なるものからの呼びかけだということである。親鸞が本願成就を如来の「回向成就」であると仰がれるのは、この「他」たる真実の実在を凡夫の上に成就する力こそ「本願力」であるとして仰ぐからであった。

   このとき、真実それ自体が、異質なる衆生の上に成就するはたらきとなる。その事実が「他力回向」、すなわち「本願力回向」であり、それによって不実なる衆生に真実が発起するという不思議な事態が起こることを、本願成就と教えるのだ、と『大無量寿経』の仏説の意図を見抜かれたということである。この事実を受け止めるなら、「信心よろこぶそのひとを 如来と等しとときたまう 大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり」という諸経和讃が意味するところもうなずけるのではないか。(続く)(2017年5月)

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