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濁浪清風
 前回(2003年6月)、へそのあたりからものを見るような視点が、親鸞のものの見方にはあるのではないか、と言った。そのことでもう少し書いてみよう。「へそ」ということは、昭和の初めころまでは、「丹田(たんでん)」と言っていた。「丹田に力を込めて生きる」などというように。これは呼吸法にもかかわることだと思うのだが、下腹に意識をおろしてゆっくりと呼吸することが、気持ちを落ち着かせ、じっくりとものを考えさせるという、実践的な力を持っているのである。
 「へそ」とは、母親の胎内に宿ったときから、一切のいのちの糧(かて)を送ってもらった通路の痕跡である。生まれてしまうと忘れてしまいがちだが、この部位は、やはりいのちにとって大事な部位であることには変わりがない。最近、あまり「へそ」ということを言わなくなったのはどうしてなのか、ちょっと気になるところである。
 このごろ全く別の意味で、この「へそ」が話題になっている。それは「臍帯血(さいたいけつ)」というものが、生命の始まりのころからの力と性質を持っているということがわかってきて、これを生命科学の技法で利用しようということになったからである。「へその緒(お)」の部分の「血液」に、誕生するべき子どもの生命力が宿っているのであろうか。
 比喩的な意味で、「へそ」のあたりからものを見ると言ってみたのだが、実は「へそ」から存在を感覚し直すということは、生まれて育っていくうちに、忘れてしまっている生命の根元の大切な事実への通路にあらためて気づくことである。つまり、現にいまこの身に与えられているいのちの事実の背景には、地球上に生命が誕生して以来の、生命の歴史が蓄積した不可思議の能力がはたらいており、その痕跡が「へそ」として腹の真ん中に位置を占めて、いのちの歴史をじっと見ていたのかもしれない。そうしてみると、「へそ」のあたりからものを見るということは、単に比喩的というよりも、文明以前の人間のいのちそのものへの開眼への通路に血が通うことなのかもしれない。
 身体における「へそ」ということが持っている意味と、人生に対する宗教的要求の持つ意味とには、相似するようなところがあるのではないか。特に、近代生活には、文明の利器に囲まれ、便利で容易な生活になるなかで、人間のいのちそのものに潜んでいる恐怖感や不安感を、そして存在の尊さの自覚たる宗教的要求をも、忘れさせられているところがある。一回限りの自分の存在が、他のいかなるものによっても取り替えられない大事な意味を持つことを、そしてうぬぼれや劣等感の底に、存在の本来のかたじけなさがあることを取り戻す要求の目覚(めざ)めには、当然としている日常から忘れられている生命の「へそ」の意味回復のようなところがあると思うのである。(2003年7月)
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