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濁浪清風
 このごろの私たちの日常生活は、すでに与えられている近代の生活機器に取り巻かれ、世界を飛び交う情報の渦の中に成り立っている。そこに生活している自己の存在感覚は、なにか根っこを取り払われた草花のような、頼りなさに覆(おお)われているのではないか。
 私たちの存在について、「存在する権利」というようなことが言われてはいる。自分が他人を意識しながら、相対して自分にも他人と同じ権利があるというような、相対的な意味づけからはこういうことがよくわかる。それが近代の人間の、いわば共通感覚なのかもしれない。しかし、一人の自分自身ということをふと意識するとき、いったい自分がここに存在している「権利」というようなものを、何に向かって確保できるのだろうか。一個の孤独な存在として、たまたまこの宇宙のすみっこにぽつんと置かれた自分に、ここに置かれた絶対的な「権利」などないのではないか、と感ずる方が自然なのではないか。
 昨年、このセンターが出している『アンジャリ』(第2号2002年1月15日刊)に、生命科学者の柳澤桂子さんにご執筆をいただいた。その文章のなかで、得体のしれない体中の痛みに、30年にもわたって床から離れられないほど責め続けられた柳澤さんが、ふと自分の存在を消してしまいたいと思われたことがあったと書いておられた。そのときに思いとどまらせたのは、柳澤さんのお話では、「つらいだろうけれど、自分たちにとってお母さんはどうしても生きていてほしい人だから、どうか辛抱して」という娘さんの言葉だったというのである。
 この場合は娘さんの思いが、柳澤さんの存在していることについての疑惑を払い去ったのである。しかし、こういう他からの言葉とか思いとかに出会えない場合には、生きることすらつらいような苦悩に責められたときに、自己を消したいという誘惑を否定することができるであろうか。
 私たちが今ここにそれぞれの生存を与えられているということを、仏教では「因縁によって存在する」と教えている。つまり、無数の条件によって生命としての生存が成り立ち、支えられ、持続されているのだというのである。
 私は、ここのところをよく考えてみたいのである。そもそも、人が生まれるときに、不可思議なる無限の条件の恵みによらないなら、自己の一個の命はこの世に生まれることはできなかったではないか。してみれば、生まれたということは、いわば生まれるべき条件を「付与」され、存在してもよいという無条件の許可を与えられたといってもよいのではないか。だから自己の生存は、大宇宙の存在の重みと匹敵するような、不可思議の意味を付与されたのだと「仰がれる」ものなのではなかろうか、と私は思うのである。(2003年8月)
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