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濁浪清風
 いま自分がここに生きている。この自覚は、生まれてこのかたさまざまな事件をくぐりながらも、一貫した身体と共に、自分自身が自分を生きているという感覚である。身体として生命が続いていることによって、時間と空間(つまり環境)を場所として、自分の自覚が成り立っている。この不思議ないのちの恵みである自分自身を、どのように了解するのか。
 とくに、私たち人間という存在には、外の環境を意識するだけでなく、自己を常に意識するということが特徴的に与えられている。自己を意識していることと、自己の外を意識していることが、同時的に成り立っているのである。ちょうど、ものを考えながら景色を見、音を聞いているように、いつでも意識が起こっているときには、自己意識が併行しているのである。
 普通には、このことはなにもあらためて問題となるような事実ではないであろう。当たり前のことなのである。ところがこのことに、人間存在の一番やっかいな問題の根があることに気づいたのが、思想家といわれる人びとである。ソクラテスが「自己とはなんぞや、これ人生の根本的問題なり」といったという。これは単に「自意識過剰」だということではない。他人に対して自分を押し出そうという意識でもない。
 普通、私たちは自分の外部のことに注意が動き、外界のことについて興味や関心が働く。それを理性の対象界として問題を感ずるのが知的好奇心である。この対象界の探究に関わってきたのが、近代の科学的学問であろう。それに対して、そういう外界に関わり果てている自分自身のことが、ふと気になったり不安になったりすることが起こる。これが、いわば外界からこぼれ落ちている自分自身なのである。
 その精神内面を対象とし、研究しようというのが心理学や精神分析なのであろうが、実はそういうように対象化しても、どうにも一般化できないもの、対象化からこぼれ落ちるものが、ここに一個の実存として一回限りの自己自身を生きている自覚としての「自分」なのである。この自分を、自分でこれが自分なのだ、とはっきり自己了解をしたい、というのが「根本問題としての自己」なのだと思う。そして、そういう自己を「深くうなずき信ずる」ことこそが、宗教的自覚としての、とくに親鸞聖人のいわれる「真実信心」なのであろう。(2003年12月)
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