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濁浪清風
 自己とは何か。こういう問いがふと自分に起こったとしても、それを問う視点がどこにあるか、ということが大事な問題である。私たちは、普通には自分という意識がいつもくっついてはいても、自分の外のこと、すなわちいわゆる客観界のことを意識し、それについて思いはかったり心配したりしているものである。だから、取り分けて自分自身が意識されるということは、何か自己の存在の危機であるとか、自他の関係の行き詰まりとかが起こっている場合が多いのである。
 試みに、清沢満之(きよざわ まんし)の場合で考えてみよう。もっとも彼は初めから哲学の道を志していたのだから、「自己を問う」ということは、今さら問題にするようなことではないともいえるが、彼が日記に「自己とは何ぞや。これ人生の根本的問題なり」と記したことについて今取り上げてみようと思うのである。日記にこの言葉を書く直前に、自分がどこから来てどこへ行くのか、生まれる前のことや死んだ後のことは、皆目わからないといい、ただ生前死後がわからないのみではなく、自己の意識の現前の起滅もまた自分の思いのままではない、と記している。
 ここには、自己を問題とする主体そのものが確固としているのではなく、自己そのものが不安と揺らぎのただ中にあって、存在の全体が「問い」と化しているなかで、「自分」はいったい何であるのか、という問いが出されているということである。このことを「存在の危機」というのである。こういう質の問いには、いわゆる合理的な説明が求められているわけではない。存在全体を回復できるような視点が求められている、とでもいえようか。だからいうまでもないのだが、関係的に規定される人間の情況としての位置、たとえば親子とか兄弟とか、または社会的な地位とか職業とか、そういうことで言い当てられる人間の属性が問われているのではない。いわば一個の、そこに投げ出されてある実存の自己了解が危機に瀕している問題なのであるから、その全存在がそのまま頷けるような視点が求められているわけである。(2004年1月)
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