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濁浪清風
「願に生きる」ことと「時間」(6)

 親鸞は「如来の回向」を依(よ)り処(どころ)として、「願生彼国(がんしょうひこく) 即得往生(そくとくおうじょう)」を、衆生の通常の意識としての心理的体験内容、「願生したら、いずれ往生する」と理解するのではなく、大悲の回向が衆生に恵む存在の利益なのだから「願生の即時に往生して不退転(ふたいてん)に住する」のだ、と受得した。すなわち「住不退転」を成り立たせる内なる動的因果が回向との値遇(ちぐう)なのだと読むのである。そのままでは凡愚(ぼんぐ)に成就するはずのない「不退転」の信念が、如来の回向との値遇によって、一切衆生に平等に発起(ほっき)しうる。このことが、真実信心を表す大切な意味となるとするのである。
 このときの「願生彼国」とは、かの国を荘厳(しょうごん)し建立する大悲のはたらきたる本願を、自己の環境として生きることである。つまり、如来の本願を生活根拠とするということである。これはわれらの日常的自我関心が、いったん、死ぬことである。「信に死し」と曽我量深が言うのは、「願生」とは「願に生きる」のであるから、何かが死ぬことが前提とされているということを見いだしたからである。この死は「穢土に死ぬ」と言っても良いのであろうが、「自我の邪見(じゃけん)が死ぬ」ということなのではないか。そして、凡夫は自分で死のうとして死ぬことはできないが、「本願に乗ずる」ということによって、それまでの根拠を捨てるということがあるのだから、それを「信に死して」と表現したのではないか。自力が死ぬことなしに、本願力に値遇することはできないからである。また、本願力に値遇することなしに、自力に死することはできないからである。
 「即得往生」とは、時日を隔(へだ)てず、分秒をも容(い)れずに、「願生」の即時に新しい生活が恵まれることを表している。第十一願の本願成就の文には、「生彼国者 皆悉住於正定之聚」(かの国に生ずれば、みなことごとく正定の聚に住す)とあるのを、「かのくににうまれんとするものは、みなことごとく正定の聚に住す」(『一念多念文意』)と親鸞は読んでいるのであった。願生するときに、正定聚に住することを得るのだというのである。その即時の即得往生はすなわち住不退転ということなのである、と。新しい生活が「不退転」の信念だということなのである。
 ここにおいて、われらの有限な時間と、如来願心が発起してくる根拠の「一如法界(いちにょほっかい)」とが、不連続の連続となって信の一念の持続を生み出してくる。有為(うい)の時間を突破する契機が、「回向」のはたらきを通して、凡夫の生活に起こってくる。この境界線に「根本言(こんぽんごん)」としての名号(みょうごう)が関わる。選択(せんじゃく)本願が「名号」の内に、「衆生の行」を廻施(えせ)する願心を孕(はら)んで、信の一念を待つのである。回向に値遇するとは、具体的には名号を信受することである。名号の内に「願行具足(がんぎょうぐそく)」の意味を包んで、凡愚の衆生の一念の信に、無為法(むいほう)に触れる時の先端を恵むということなのである。(2011年11月)

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