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濁浪清風
「願に生きる」ことと「時間」(7)

 親鸞の浄土和讃に次の和讃がある。

  定散自力(じょうさんじりき)の称名(しょうみょう)は
    果遂(かすい)のちかいに帰(き)してこそ
    おしえざれども自然(じねん)に
    真如(しんにょ)の門に転入(てんにゅう)する

 人間にとっての時間は、移ろいゆく意識に、過去とか未来として感じられているものである。だから、変化していく有為法(ういほう)である。その有為法の領域に、われらの一切の体験は起こっている。
 しかし、真如は「不増不減(ふぞうふげん)」であり、「不生不滅(ふしょうふめつ)」であって、有為法ではない。人間の意識の想念(そうねん)を超えたもの、これを無為法(むいほう)という。無為法を体験するということは、言葉の定義に矛盾する。真如は、われら衆生にとって、色や形のように直接体験されるものではないのである。われらの体験のなかに無為法を取り込もうとすることは、たとえば、消化できない金属を飲み込んで、消化しようとするようなものである。先の和讃は、善導(ぜんどう)の偈(げ)を親鸞が和語にしたものだが、ここに「真如の門」とあることが大切なことを比喩(ひゆ)的に示しているのではなかろうか。
 「果遂の誓い」とは、第二十願の最後に付いている言葉によって名づけられた願の名である。この言葉は、本願のはたらきが単に自力の意識を破って名号を信受せしめるのみでなく、本願力に帰入して真実信心に立つことに至るまでも「果遂」するのだ、と親鸞は見ているということを表している。凡愚(ぼんぐ)に深く張り付いている自力の執心(しゅうしん)を、徹底的に自覚せしめて、「仏智(ぶっち)疑う罪深し」と気づかせる。その信念の歩みをもたらす力が、果遂の願の力だ、と感得しているということなのである。
 この果遂の願の力で、「自然に」真如の門に「転入」するというのである。ここで真如の門とあることによって、無為法である真如の「門」を見いだすということが、凡夫の意識と無為法との接点になることを暗示しているように思うのである。直接に体験するのでなく、信心の因に、「必至滅度(ひっしめつど)」の願果(がんか)を恵もうと誓われた因果の必然性を、「門」によって比喩的に入出できる因果のごとくに表現しているのである。
 至心信楽(ししんしんぎょう)の願を因として、必至滅度の願果を衆生の上に成り立たせようというところに、「回向」の願心の中心があると親鸞は見た。つまり、われらに発起(ほっき)する真実信心に、大般涅槃(だいはつねはん)の利益が与えられる。しかし、そのことは意識体験として涅槃の体験がわれらに起こるというのではない。体験としては、因である信心に「正定聚(しょうじょうじゅ)」の確信が起こるというのである。正定聚とは、大涅槃を確定して揺らぐことのない信念の質を受けとめた人々の集まりをいう言葉である。その信念を持つ人々の位を「不退転(ふたいてん)」とも「阿惟越致(あゆいおっち)」ともいうのだと、親鸞は繰り返し語っている。この位を因として、果の大般涅槃が必然の果として展望されているというのである。(2011年12月)

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