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濁浪清風
「願に生きる」ことと「時間」(10)

 如来回向(にょらいえこう)の信心は、涅槃(ねはん)の真因である。因でありつつ、すでにして仏性(ぶっしょう)である。仏性は、如来の智見(ちけん)からは、一切衆生における現在現前の事実であるが、凡夫(ぼんぶ)や菩薩の意識にはまだ充分に開示されていない。だから、愚かな凡夫たるわれらにとっては、可能態の表現として「仏性未来」というしかない。しかし、この因位(いんに)の自覚に与えられる利益として、正定聚(しょうじょうじゅ)を確保することはできる、と親鸞は言う。「正定聚」ということは、成仏(証大涅槃(しょうだいねはん))の果を確定した位を言う。ということは、その「未来」が絶対的な必然性として、人間的な条件付の未来ではなく、本願が誓う未来だというのである。これを曽我量深は「純粋未来」として考察したのである。
 大涅槃とは、人間存在が回帰すべき本来性なのであろう。それに背いて無明海(むみょうかい)をさまよい続けるものが、迷いの衆生の実態である。しかし、いかに迷いの層が厚くとも、かならず透徹(とうてつ)して黒暗の生活を開放して明るくせずにはやまないものが、大悲の光明である。これを具現すべく、大涅槃の本来性が、悲心やむことなく立ち上がったところに、「法蔵菩薩」の意味を仰ぐのが、親鸞の本願の了解である。だから、「一如宝海よりかたちをあらわして、法蔵菩薩となのりたまいて」(『一念多念文意』)と言われているのである。
 一切衆生に存在の本来性を回復させたいということが、大悲たる本願の意味である。これを信受する以外に、本来性を自己回復することは不可能であるという見極めが、自力無効の自覚なのである。自力の意識に感ずる時間は、過去からの重荷を背負って、現在から未来へと歩む方向を感ずるものである。それに対して、大悲の願心がわれらの暗闇にはたらきかける時間は、法蔵願心の永劫(ようごう)修行を背景にして光明の未来から開けてくるものではないか。
 われらはこれを、時を突き抜ける願言(がんごん)において、感得するのである。闇の底に「獅子吼(ししく)」する願心の言葉の咆哮(ほうこう)を聞くのである。まさに「一念」の信には、純粋未来からの光明の照射が当たっているのである。この一瞬に、「願生彼国(がんしょうひこく) 即得往生(そくとくおうじょう)」の意味があるのだといただくことを、「住正定聚」と言うのである。この言葉には、時間が消えるような感覚が無いこともない。しかし、煩悩生活を念々に持続する衆生においては、純粋未来からの願心との値遇(ちぐう)するうえでの時間は、とどまることなき恒常の一念の持続なのである。煩悩生活と共に、念仏生活が発起してくるのである。善導の『般舟讃(はんじゅさん)』に「念々称名常懺悔<念々に称名してつねに懺悔(さんげ)す>」という言葉があるが、この信心の時間には漸々(ぜんぜん)に前向きによくなっていくという向上的認識はいらない。純粋未来は、自力無効の信念に来至(らいし)するのであるから、大悲がわれらを摂取してくる一念の時の意味である。すなわち、凡夫が大悲に値遇する時の構造なのである。(2012年3月)

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