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濁浪清風
自然の浄土(2)

 今日、「浄土」と言えば死後の世界と同義語のように日本語に定着し、それが一般的な共通理解になってしまっている。親鸞の時代に、どれほどこの観念が民衆に定着していたかは、定かではない。現今(げんこん)の浄土についての理解が、このような死後世界とほとんど同義語となっていることについては、一般化した浄土の理解に浄土真宗の教えの側がすり寄った責任もあるように思う。それは祖師親鸞の思索や試みを無視したというよりも、親鸞が苦労して従来の浄土教の浄土理解を解体するほどの仕事をしたことが、きちんと了解できていなかったのではないかとさえ思われる。
 親鸞以外の浄土教の祖師達は、自分たちが求める浄土の救済が、聖道門の止観(しかん)の対象となっている「観念」の浄土とは異なることを主張しようとし、慈悲方便(じひほうべん)して説き出された浄土の荘厳(しょうごん)世界を、文字どおりに臨終来迎(りんじゅうらいごう)をくぐって至らしめられる死後の場所として基本的に理解したようである。専修(せんじゅ)念仏を主張した法然にあっても、往生浄土は身の「臨終」と結びついて理解されていたようである。
 しかしながら、親鸞における「顕浄土(けんじょうど)」の仕事は、必ずしもこの点では師の考えを継いではいない。往生に三段階の信念に対応した名を与えていることからも、それは明らかであろう。親鸞の本願力による救済の了解には、『浄土論』・『浄土論註』から取り出し獲得した「往還二回向(おうげんにえこう)」ということがある。この言葉が、親鸞の浄土理解に対して、決定的な意味をもっているのだと思う。この「回向」とは、言うまでもなく『浄土論』・『浄土論註』が浄土への行として説いている五念門(ごねんもん)の行を、自利の四念(礼拝<らいはい>・讃嘆<さんだん>・作願<さがん>・観察<かんざつ>)を成就した利他の回向門を中心に、理解し直すことである。すなわち、利他の回向が、如来の側から衆生への大悲回向と読み取るということである。「回向を首(しゅ)として大悲心を成就することを得る」ということが『無量寿経』の語る法蔵願心の「兆載永劫(ちょうさいようごう)」の修行成就の意味なのであり、その成就とは、「回向」に五念門の「首」(代表)である意義を見ることによって、衆生のうえに「本願成就」する信心の背景の修行である、と理解されたのである。
 どこまでも「回向」が大悲の願行であるといただくとき、「無有出離之縁(むうしゅつりしえん)」とされる流転の凡夫に、摂取不捨の心光が現にはたらいていると信じられてくるのである。罪悪深重の身が信知されるとともに、兆載永劫のご苦労がわが身のためであると感じられるのである。名号の信心に修行が欠如しているのでなく、名号の信心には、難信を突破せしめる如来回向の大悲の修行があると信受するのである。わが存在の根源にはたらき続ける永劫修行があることに気づくのである。その信知が起こるとき、凡夫の浅薄な努力意識は微塵のごとくに吹き飛ばされるしかないのである。(2012年5月)

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