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濁浪清風
自然の浄土(3)

 「顕浄土(けんじょうど)」<『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』を一貫する課題>として、大悲心の回向を衆生が受けとめること、これは本願力の表現を凡夫が受けとめることである。「凡夫というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」(『一念多念文意』)と、親鸞は凡夫について註釈されているが、われら煩悩具足の凡夫は、この煩悩を消してから本願に遇(あ)うのではない。生きている限り、煩悩の事象のほかに生存の事実はない。そういうわが身なのである。これを消し失わずして、本願力の救済に遇うのだ、ということを親鸞は見極めた。「煩悩を具足しながら、無上大涅槃(だいねはん)にいたる」(『唯信鈔文意』)ことができる道を、本願の物語で語り明かしているのだ、と聞き留めたのである。
 真実報土(ほうど)を、親鸞は「無量光明土」と言われた。浄土に光明無量の願に応える場としての名を与えているのである。天親の『浄土論』の光明功徳では「仏恵明浄日 除世痴闇冥<仏恵明浄(ぶってみょうじょう)なること日のごとくにて、世の痴闇冥(ちあんみょう)を除く。>」と言われている。仏の智恵が、われらの無明の黒闇を除くはたらきをしてくださる場所だということである。本願は「願力成就の報土」として「荘厳(しょうごん)」されているが、「願もって力(りき)を成ず、力もって願に就く」(『浄土論註』)と言われるように、果が因となり、また因が果となって、われらを摂してはたらき続けることを表そうとするのである。
 悲願のはたらきを「場所」を通して衆生に開こうということは、われら愚痴(ぐち)の衆生をどこまでも見捨てない大慈大悲のゆえであろう。源空は、浄土が説かれる意味を、主体の変革は困難でも環境から変わってくるなら、いつの間にか主体は変えられるものだと説明している。このことは、和辻哲郎の『風土』によく表されていると思う。環境や境遇によって、人間は作られ、変えられていくものである。だから、モンスーン気候帯にはそれ相応の文化が育つということが起こるのである。
 逆に言うなら、自己の〈いのち〉を自身で変革したいと思うだけでは、容易にこの志願は達成できない。そのための情況や環境を変えることができるなら、たしかに願望も成就に向かうことがあるであろう。生命というものは、場所とのかかわりあいで〈いのち〉を持続するものである。生命にとっての「場所」は、「身土不二(しんどふに)」とも言われるように、切り分けられない関係がある。だから、大悲の願が「場所」となって衆生を摂取するというかたちで、衆生に願の誓う功徳を与えようとすることには、必然性があるのである。(2012年6月)

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