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濁浪清風
自然の浄土(4)

 環境としての浄土を、主体の外側に存在するかのごとくに教えて、それを衆生に要求させる教え方、それが浄土教の教相(きょうそう)である。それを衆生は自己の体験の中にいかに定着できるか。それが『観経』の定散(じょうさん)の努力の教えの意味なのであろうと思う。ところが、この定散自力の努力での浄土への往生を、親鸞は「双樹林下(そうじゅりんげ)の往生」と位置づけた。人間の有限な努力で、無限の大悲が建立する願力成就の報土には、往(い)けない、つまり相応しないというのである。だから、肉体の滅亡を待って、彼土(ひど)に生まれるのだ、と教えているのだと。そうしてみると、世間生活をしている肉体の外側に感覚されている「浄土」とは、所詮「方便化身土」なのだということになるのであろう。だから、それを求めても、本当は獲得できる世界ではないということなのである。それはつまるところ、人間の現状の苦境を厭(いと)う逃避心の投影された影に過ぎないからなのである、と親鸞は押さえるのである。
 それでは、願心が建立する浄土とは、いかなる意味をわれわれに呼びかけているのか。これはもともと一如法界(いちにょほっかい)を、願心を通して「荘厳(しょうごん)」したものであると言う。報土(ほうど)とは法蔵願心の荘厳した世界なのである。すなわち、色もなく形もない法性(ほっしょう)を、衆生の意識に呼びかけるために象徴的に表現されたものなのである。この荘厳された形をどこでわれわれは感受しうるのか。それを親鸞は「真実信心」の内なる意味として了解しようとされている。すなわち、「欲生心(よくしょうしん)」として選択(せんじゃく)本願が誓っている意味が、われらの信心の内に回向心として与えられる。その回向心の内容(相分)が荘厳なのだと、明らかにされているのである。「願心荘厳」といわれているのだから、願心の内面なのだ、と。
 欲生心を回向心であると言われるのは、衆生の宗教的要求の根源に、法蔵願心の物語を生み出す弘誓(ぐぜい)がはたらいていることを感知した、ということであろう。別言すれば、弘誓が、勅命たる欲生心を衆生の意識の根源に見いだしたのである。その勅命が衆生に願心の報土を要求させる。それに動かされて、自力で努力意識を動かしていくもの(至心発願欲生)が、努力の果てに彼土を夢見る「方便化土(ほうべんけど)」の往生だというのである。
 欲生心は、人間の意識レベルより深層にはたらく超世(ちょうせ)の大悲心である。これは実は衆生にははっきりそれとは自覚できない。しかし、じっくりと衆生を育て歩ませて、大悲と値遇(ちぐう)するまで待ち続けるのである。そして、選択本願の心に響いて、名号の信心が誕生する。
 名号が無上功徳を具足していることを教えて、この根本言に「一如真実の功徳法海(くどくほうかい)」が具足することを言うのは、この真理の一言を信ずるところに、弘誓との値遇があるからである。つまり、本願の物語は、願心が名号に具体化することによって、超世の悲願を有限なる衆生に回向しうると言うのである。それが「名を称するに、能(よ)く衆生の一切の無明を破し、能(よ)く衆生の一切の志願を満てたもう」(『教行信証』行巻)と註釈される意図であろう。名が用(はたら)く名となって、衆生の無明を破り、求道の志願を満足してくるのだ、と言うのである。この名のはたらきが、衆生の本来性たる「自然法爾(じねんほうに)」を引き出してくるのだ、ということなのである。(2012年7月)

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