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濁浪清風
自然の浄土(10)

 諸仏如来(しょぶつにょらい)の智恵という表現は、如来が諸仏として見いだされてくる場合の、大乗の智恵であろう。それは、個人の如来であった「シッダールタ」という歴史上の一人物を、偶像化して仰いできた仏教の歴史に、法身(ほっしん)そのものは不増不減(ふぞうふげん)の「常住(じょうじゅう)」なるものであるという智恵が生まれたことである。この問題は、「法身常住」を巡って掘り下げられた大乗『涅槃経(ねはんぎょう)』の中心テーマである。
 そもそも釈尊が如来となったということは、人間が真理から迷妄を生きている現世に衆生教化のために現れたという意味である。如から来たり如へと去る。如(真理)ならざる流転の現世を生きている衆生を如(真理)へ還帰させるために、如のままに如を失わずに、流転の場に出てくることを如来というのである。そして、衆生と共に如に去る。だから、タターガタを如来如去(にょらいにょこ)とも言うのである。
 そのとき、如来と衆生は、迷いから覚(さと)りへという智恵の開けにおいて、位を異にしているが、衆生の迷妄の位を転ずれば、如に帰りうるものと信頼している。だから、如に帰ったからといって、如が増えるわけではない。存在の本来性を取り戻したのであって、無いものが出てきたわけではない。妄念によって本来性を見失っていたものが、妄念を破って、本来性の自覚を取り戻すのである。だから、衆生はすべて仏陀でありえるような本来性としての「仏性」をもっていると見るのが、仏陀の智見である。したがって、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」といわれるのは、大乗仏教の智恵から出てくる大切な視点である。その智見から、一切衆生は一切諸仏の因が与えられており、その因は果である仏陀の存在が未来からの影写のごとくに見えている。いわば、衆生の未来からくる本来性の予感に、果の仏陀が拝されているのであろう。
 未来から来る存在の本来性の予感とは、換言すれば、「必至滅度(ひっしめつど)」の願心である。かならず大涅槃に至らしめようという法蔵願心である。大悲願心の深層の意欲において、衆生には「欲生心(よくしょうしん)」が植え込まれているのだという信頼が与えられるのである。これを信じられるのは、回向の願心がはたらき続けているからである。このはたらきが必然性をもっているからである。本来性への必然的傾きをもっているからである。
 この本来が本来を回復せずにはやまない、という意欲を本願力として言葉にしてきたのが、『大無量寿経』の本願の物語なのであろう。だから、「一如宝海よりかたちをあらわして、法蔵菩薩となのりたまいて」(『一念多念文意』)という親鸞聖人の表現がでてくるのであるに相違ない。この本来性が、一切衆生のなかにうずくようにはたらく欲生心としての「勅命」だと信受するのが、親鸞聖人の「回向心」としての欲生心という意味であろうと思う。(2013年1月)

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