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濁浪清風
自然の浄土(12)

 「自然」は、「おのずからしかる」と訓(よ)むのが一般的であろう。そう訓むなら、ものごとはひとりでに成るように成る、という存在理解のかたちを言い当てる言葉となる。これに対し親鸞は、「おのずからしからしめられる」と訓んでいる。そこには、一切の存在がわれら有限な人間の思いを超えて、すでに所与(与えられている)であるという存在理解があるのではないか。そして、そう訓むことで、自己を含めて一切の存在は、自己の思いを超えて、大いなる慈悲のはたらきとしてここに与えられているのだ、という他力的存在了解を示しているのであると思う。
 いわゆる自力の立場が、自己の思いのごとくに、存在を理解し変革し、利用していこうとするのに対し、他力的な存在理解には、自己自体も自己を取り巻く情況も、すべて深い因縁によって与えられているという智見がある。ここに、いかなる行為や経験も、遠い業縁の背景なしには起こりえないという『歎異抄』の表現もなされてくるのではないか。
 いわゆる近代社会は、科学文明といわれるような、高度の科学技術や精密な対象分析のうえに、合理的な生活空間を構築してきたのだが、そこに生きて集う人間が、他との絆を失い、次第に孤立化し、なぜか殺風景な表面的な意識層に浮き沈みしている。人間的自由という近代を動かしてきた根本概念が、親鸞が見たような他力的人間理解を失い、当面の自分が自由に生きているような錯覚に巻き込まれて、存在了解を皮相に止(とど)めてきたということがあったのではないか。自己の思うように生きるために、自己の背景に絡む因縁を切り離し、現在の自己を取り巻く関係をも切り捨てて、いったんは自己の思うままに生活空間を構築できるかのように思ってきた。しかし、その結果は、町が連帯を失い、家庭は崩壊し、個人が孤立して、無縁死というような現象が日常的になってきたのである。
 この孤立的空間を人間の生存空間にすることは、あまりにも「自然」的ではないのではないか。いわゆる自然界は目に見えない無限の生命連鎖で成り立っているといわれる。たとえば、富山湾でとれる鰤(ぶり)がおいしいのは、この湾に大量の微生物(プランクトン)が生きており、それを食する小魚が豊富だからである。そのプランクトンは富山湾に流れ入る黒部川の栄養から発生する。黒部の源流は広大な広葉樹林帯の国有林であり、大切に保護されており、その広葉樹の落葉の豊富な栄養が、黒部川に注いでいる。こういう連綿とつながる生命の連鎖があるのである。
 こういう私たちの生存を取り巻く無限の生命連鎖に、数十億年という時間の連鎖がかかわって、私たちが今生きている現在が与えられているのである。そこから、今の私たちの一挙手一投足が起こるのである。だから、自分で「しかるべくする」と思うけれども、実はそのように「しからしめられてしかる」のであると言うべきであろう。この存在了解を取り戻して、近代文明によって見失った生命連鎖を見直し、大きな生命連鎖を基盤とした人間の連帯を回復したいと切望するのである。(2013年3月)

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