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濁浪清風
親鸞教学の現代的課題(2)

  親鸞の信心の本質は、本願を救済原理として信ずるというところにのみあるのではない。むしろ、本願力が「回向」を通して、凡愚を救済するというところにこそある。これは単なる言葉の遊びではない。「回向」に「如来の回向」という新しい意味を吹き込むことによって、それまでの浄土教に決定的な、革命的ともいえる新しい方向を切り開いたのである。
  それは一体何か。それは大悲の本願が、五劫に思惟し、兆載永劫(ちょうさいようこう)の修行をまっとうして、彼岸の浄土を建立したという物語では、凡愚の厭離(えんり)・欣求(ごんぐ)を引き出すことはできても、その浄土へ自己の存在を到達させるための救済条件が、不透明なのである。だから、如来の悲願が、「至心発願」(まじめに願を発〈おこ〉す)の願心を呼びかけ、まずは諸行の努力を尽くしてみよと教える。
  本願力が呼びかける浄土は、如来の純粋清浄の意欲が建立した場所なのだから、凡愚の努力の積み重ねでは到達できないのだと気づいて、「至心回向」(自己の功徳を如来なり他の衆生なりに振り向ける)の願に出遇(あ)って、「聞其名号(もんごみょうごう)」(仏の名号を聞く)によって浄土の利益を獲得しようとしても、名号の内面のはたらきが凡愚の前に開示されてこない。それで、名号を自己の功徳として回向しようと、日課数万遍も行ずるというようなことをしてみても、「無明なお存して所願を満たさ」ないということになる。けれども、いよいよこの努力で積んだ功徳を「至心に回向」せよということが第十八願成就の課題なのだと見て、必死に「至心回向」を成就しようとするしかない。
  自力の心の未熟なことに苦しんでいた親鸞が、「至心」は真実心なのであるから如来の心であり、凡夫自力の心ではないのだと見極めたことと、『浄土論』の天親菩薩の五念門行の意味に、法蔵物語の背景を読み取ったこととが重なったのではなかろうか。それによって、「至心回向」が本願成就文にあるということは、凡愚の努力内容を呼びかけているのではないのだ、と気づいた。真実心を振り向けるというのであれば、「至心回向」は如来の回向と読むほかに了解の方法はない、という結論に行き着いたのだ。
  考えてみれば、第十八願は「念仏往生」と理解されてきたが、その「念仏して往生する」ことを大悲が凡愚に与えようとする時、如来の真実と、凡愚の不真実の、決定的な不一致の自覚を衆生に開かせる必要がある。ここをルーズにしておくと、相対他力の甘えの信心を脱出できないからである。そして、この絶対の断絶を突破する原理が「如来回向」なのである。この如来からの真実のはたらきに、凡愚が値遇(ちぐう)することによって、願力の救済が衆生のうえに来るのだ、というのである。(2013年6月)

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