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濁浪清風
親鸞教学の現代的課題(4)

  如来の回向に値遇(ちぐう)することによって、愚かで罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の凡夫(ぼんぶ)が「涅槃(ねはん)」の功徳との関係を獲得できるということを、親鸞聖人はどうしてそれほど大切なこととされたのであろうか。おそらくこの涅槃の課題が、仏道を求めて仏に成っていくという人間観の根本問題だと信じておられたからであろう。曇鸞大師が「願生心(がんしょうしん)」について、「為楽願生(いらくがんしょう)」を否定し、浄土に生まれることは、「菩提心(ぼだいしん)」の要求に応えて無上菩提を得るためだとされたことを、浄土教の根本の課題だと見られたことと同じ問題なのであろう。
  この点に絡んで、三輩段(さんぱいだん)の見方において、法然上人では「一向専念無量寿仏(いっこうせんねんむりょうじゅぶつ)」を取って、「菩提心」は廃捨するのだとされたけれども、明恵上人が問題にされたように、親鸞聖人も菩提心無用ということには納得できなかったのではなかろうか。願生心が「願作仏心(がんさぶっしん)・度衆生心(どしゅじょうしん)」という意味をもつという曇鸞大師の解釈の言葉を、「天親和讃」で天親菩薩の意図でもあろうと見られたのであるから(「願作仏の心はこれ度衆生のこころなり 度衆生の心はこれ利他真実の信心なり」)。
  ただし、その菩提心が衆生の自力の菩提心だとするならば、凡夫の上に「涅槃」の果を獲得できるはずがない。「煩悩がすなわち菩提だ」という大乗仏教のテーマがあっても、現実の凡夫の生活が無明の闇を脱出できていないのであり、煩悩罪濁(ざいじょく)にまみれて苦悩の生活に埋没しているのであるから、いかに大乗仏教の真理であろうと仏法の論理的必然であろうと、一向に凡夫の現実の救済にはならないのである。だから、『安楽集』で「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という『涅槃経』の言葉に対して、現実の衆生がこの言葉によって少しもたすからないのはなぜかという問いを道綽禅師が立てられていることを、法然上人が『選択集(せんじゃくしゅう)』の始めに取り出しておられるのであろう。
  その涅槃の課題を、いかにして苦悩の群生に親しく触れさせることができるか。このことを選択本願が課題にしないはずがない。その眼で本願を読むとき、正依『無量寿経』の第11願が「必至滅度(ひっしめつど)」と語ることを、異訳『如来会』が「証大涅槃」と誓っているということに、親鸞聖人が気づかれて歓喜されたことがあったのではなかろうか。『大無量寿経』下巻が第11願成就の文から始まっており、曇鸞大師が三願的証でこの願を取り上げ、「住正定聚(じゅうしょうじょうじゅ)故必至滅度」と言われていることに、深い感動をもたれたに相違ない。
  回向に値遇するとは、「聞其名号(もんごみょうごう) 信心歓喜(しんじんかんぎ)」の事実を本願成就としていただくことである。いな、本願成就とは、大悲回向がわれらに届けられることなのだ。「願生」の意欲が、一切衆生の迷妄の生活を貫いて、兆載永劫(ちょうさいようごう)に地下水脈のごとく流れ続けていたのだ、と気づかされることが回向との値遇なのである。それがはっきりすれば「無上妙果の成じがたきにあらず」(「信巻」)と言いうるのである。(2013年7月)

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