親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 濁浪清風
濁浪清風
親鸞教学の現代的課題――法蔵菩薩(12)

  「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、生死罪濁(しょうじざいじょく)の群萌(ぐんもう)」(証巻)が、正定聚(しょうじょうじゅ)に住することにおいて、大涅槃を必ず得られると確定する。このことを衆生が自分自身に確信すること、それが本願による救済の具体的事実である。このことはこの世の時間的な未来ではなく、本願が衆生に誓うという意味の未来、それを純粋未来と曽我量深師は言った。この純粋未来の確信には、生死流転に死んで、証大涅槃によみがえると表現されるような、本願力による大転換が含まれている。それについて曽我師は、「信に死し願に生きよ」と言われた。それは親鸞聖人にあっては、回向(えこう)との値遇(ちぐう)と表現される事実の内面的意味として教えられるのである。
  信心には、「横截五悪趣(横<よこさま>に五悪趣<ごあくしゅ>を截<き>りて)」(『無量寿経』)という意味が具せられているとされる。それをまた「横超断四流(横に四流を超断し)」(玄義分)と合わせて、回向の信心がもつ菩提心としての意味とされる。純粋清浄なる一如真実が、不浄造悪の衆生に与えられるということである。衆生にこの事実が発起(ほっき)するからには、その現行の因には、無漏の本有種子(ほんぬしゅうじ)がなければならない。しかし、無始以来の流転生死の業を熏習(くんじゅう)として受けとめて、煩悩具足の生活をする衆生には、無漏種子の経験はありえない。不浄の身に清浄の種を蔵するとするのは、論理的には矛盾である。しかし、本願の信心の事実は、この論理的矛盾を超えて現行する。これは不可思議として捨て置くしかないのか。
  ここを「浄法界等流(じょうほっかいとうる)」(『摂大乗論』)の如来の教言を聞くということで、「聞熏習」による新しい熏習によって、菩提の種子が成立すると説明することもある。しかし、『無量寿経』は、この難関を突破するいとぐちを、一如法界から発起する意欲に見いだした。そしてその意欲を担う主体に「法蔵菩薩」という名を与えた。この願心の主体は、有漏(うろ)の経験しか積み重なっていない凡夫に、浄法界の経験を発起させたいという願心を誓うとするのである。
   『無量寿経』が物語で大悲願心を語るのは、この矛盾を突破する大菩提心の不思議さを言葉にするためである。論理的に矛盾することがらを、いわゆる論理で語れば行き詰まるほかない。物語を通して、「兆載永劫(ちょうさいようごう)」という時をかけると表現するのは、矛盾を超える事実の背景を言い当てんがためである。本願力の事実は、具縛(ぐばく)の凡夫に信心を発起するまではたらき続ける。われらの自覚においては、「微塵劫(みじんこう)を超過すれども仏願力に帰しがたい」(「化身土巻」)という悲歎とともに、「無慚無愧(むざんむき)のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名(みな)なれば 功徳は十方にみちたまう」(愚禿悲歎述懐)という和讃のおこころが響いてくるのである。(2014年3月)

最近の『今との出会い』一覧
Backnember ページトップへ
濁浪清風今との出会いブックレビュー
研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス