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濁浪清風
親鸞教学の現代的課題――法蔵菩薩(13)

  衆生(しゅじょう)に本願名号を信受する事実が発起するには、その現行(げんぎょう)の因に、無限大悲の限りないはたらきがあるに相違ない。この因位(いんに)の超時間の願心を感受したところに、一如宝海(いちにょほうかい)より発起する法蔵菩薩の物語を説く釈尊の喜びがある。そしてこの説き出される根源の「法蔵」は、一切諸仏の「法蔵」でもある。一切諸仏も、そこから超発(ちょうほつ)する願心によって諸仏の位を確保するのである。このことを「仏仏相念(仏と仏と相念じたまえり)」(『無量寿経』)によって共感した教主釈尊が、光顔魏々(こうげんぎぎ)と輝くような歓喜(かんぎ)のなかから説法に立ち上がったのだ、と阿難尊者が感じたのではないか。阿難の問いを、自分自らの所感から出た問いか、と釈尊が問い返されたことの意味は、この願心を超発させる「法蔵」は、一切衆生の根源でもあるのだから、未だ仏陀によって印可されていない阿難(阿難は釈尊在世の間には、十大弟子がみな未来に成仏するであろうと許されたのに、唯一人、許されなかったらしい)であっても、光顔魏々の容顔に触れうるのだ、と教主釈尊が確信していたからではないか。
  ところで、「浄法界等流(じょうほっかいとうる)」(『摂大乗論』)の教言に出会うことで、聞熏習(もんくんじゅう)による清浄なる新熏(しんくん)の種子が生ずるとする『摂大乗論』の主張を受け継いだはずの世親が、なぜ、『無量寿経』の「優婆提舎(うばだいしゃ)」を必要としたのであろうか。実は筆者にはそれに先だって、なぜ兄である無着の『摂論』があるのに、その釈論を制作(『摂大乗論』世親釈論)するにとどまらず、『唯識二十論』やさらには『唯識三十頌』を作ったのか、という問題を感ずるのである。
  瑜伽行(ゆがぎょう)派の膨大な議論の蓄積は、『瑜伽師地論』に見ることができるし、それを整理して大乗の仏法として、二種の「縁起」によって仏説を略説できるといい、分別自性(じしょう)縁起と分別愛非愛縁起という名目を立てて説得しているのが『摂大乗論』である。分別自性縁起とは阿頼耶(あらや)縁起であり、分別愛非愛縁起とはいわゆる十二支縁起であるとしている。『摂大乗論』は、この第一の分別自性縁起に立って、大乗仏教の存在論を阿頼耶識によって「摂大乗」として基礎づけているのである。
   『成唯識論』が阿頼耶識の存在論証をするに当たって、この『摂論』からの引用をすることからも、『唯識三十頌』の主張が基本的には、『摂論』の受けとめであることはうなずける。それでも、わざわざ新しく『唯識三十頌』を制作するには、別の課題があったに相違ない。その必然的原因の一つに、末那識(まなしき)の独立の主張があるのではないか。『摂論』では、阿頼耶識の雑染分(ぞうぜんぶん)として考察されている問題を、独立の意識作用として見いだした。その末那識に相応する四煩悩(我痴・我見・我慢・我愛)こそが、根本主体(阿頼耶識)から現行する一切の経験を、有漏(うろ)雑染の気配に巻き込むことを主張するのである。この深層の煩悩の解決と、世親菩薩が『無量寿経』によって、「世尊我一心 帰命尽十方無碍光如来 願生安楽国(世尊、我一心に、尽十方無碍光如来に帰命して、安楽国に生まれんと願ず)」と表白しなければ済まなかった求道の問題とが、深く関わっているのではないか。(2014年4月)

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