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濁浪清風
親鸞教学の現代的課題――法蔵菩薩(14)

  曇鸞が菩薩道(ぼさつどう)の限界を七地の菩薩における「沈空(ちんぐう)」にあると押さえたのは、唯識の問題に対応するなら、末那識(まなしき)相応の煩悩(ぼんのう)に関わる修道上のことがらなのではなかろうか。一応は、意識生活に起こる煩悩を対治して純粋な「自利利他」を実現できるところまで修道を積み上げたはずの菩薩(ぼだい)が、「上に、諸仏の求むべきを見ず、下に、衆生(しゅじょう)の度すべきを見ず」(『真聖全』一・三三二)という状態に沈み込んで、脱出する緒を失うというのである。菩薩としては第七地に住してもまだ「未証浄心(みしょうじょうしん)」であるとされる。この菩薩道の難関のために、世親も龍樹も阿弥陀の願力に帰命したのだと曇鸞は言う。このことは、法相の学徒のなかに、しばしば浄土の教えに帰している求道者が出ていることにも関係するかもしれない。例えば、『無量寿経』を註釈した新羅の憬興(きょうごう)とか、法相の法位の『大経義疏』がある。
  ともかく、われら凡夫(ぼんぶ)の煩悩的体質は、意識生活で気づきうるレベルよりずっと深いところにまで、完全に我執に汚染されているということである。だから、無着の『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』が語る仏の浄土を、真に衆生の救済の場所とするためには、止むことのない悲願によってしか語りえない、と世親は気づいたのではないか。自力菩提心の雄渾な意志力では、笊(ざる)から漏れ落ちる雑魚のように、愚かな凡夫は置いていかれるというのであろう。元気がよい場合は、病人の不安や悩みが見えないように、倶生起(くしょうき:生命と同時に具わっている)の煩悩とされる末那識相応の煩悩は、普通に起きているときの意識レベルでは、決して気づくことができない質の煩悩である。いわば、深層意識の煩悩なのである。
  法蔵願心は、菩提心を超発(ちょうほつ)するが、この菩提心の本質は無倦(むけん)であり止むことがないという。この超発性は、いかに衆生の闇が深くとも、必ずや光明を届けずには終わらない志願だということである。この願心に信頼せずにおれないということは、こういう努力意識や意識生活からもこぼれ落ちるような深い闇を、われらは引きずっているということがあるからではないか。
   この深層の闇をあえて逃げずに、ここにこそ光明無量の明るみを届けるのだというところに、阿弥陀の大悲願心が語り出されているのに相違ない。法蔵因位の無倦なる志願と、果上の広大なる無碍の光明を意味として、「名」にすべての功徳を読み込む教えが、親鸞の名号論である。名号に因位と果位を語ろうとするのは、無倦の法蔵の志願を保ちつつ、転成のはたらきを衆生に届けたいという『無量寿経』の体が、名号であるということを示そうとするからであろう。(2014年5月)

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