親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 濁浪清風
濁浪清風
親鸞教学の現代的課題――法蔵菩薩(17)

  迷没の衆生が永劫の迷いを翻(ひるがえ)して、自己の本来性(一如・法性)を回復しようとする意欲を、「菩提心(ぼだいしん)」と言う。この意欲の大乗的課題は、自己の背景たる無始以来の無明沈淪(ちんりん)のあり方を翻すという個人的な困難性を克服するのみでなく、共業(ぐうごう)を生きる「衆生」(人の間を生きる人間存在、すなわち社会的存在)の罪業性を転じて清浄なる存在の本来性を衆生と共に回復できる方向を見いだすということである。すなわち、菩提心という自己の本来性回復の要求に「大乗仏教」の根本問題をもっていることである。すぐ了解できるように、この課題は無限の困難性の深みをもっている。この課題の大きさを海に譬(たと)えるから、「願海」ということが出てくるのである。
  この願海の内容を親鸞は『教行信証』「行巻」一乗海の釈において、「「海」と言うは、久遠よりこのかた、凡聖所修(ぼんしょうしょしゅう)の雑修雑善(ざっしゅぞうぜん)の川水(せんすい)を転じ、逆謗闡提恒沙無明(ぎゃくほうせんだいごうじゃむみょう)の海水を転じて、本願大悲智慧真実恒沙(ごうじゃ)万徳の大宝海水と成る、これを海のごときに喩(たと)うるなり。」と言っている。ここには、あらゆる人間の起こす善悪の業を本願海のうねりに巻き込んで、全存在を「大宝海水」に転じていく大悲のはたらきが、名号となった「大行」であることを表そうとする親鸞の視線がある。
  人間存在の行為の本質を善のほうからは、「雑修雑善」とし、悪のほうからは、「逆謗闡提恒沙無明」と言う。善には「川水」を当て、悪には「海水」と言っている。人間は自己の行為を「善」に意味づけようとするが、その本質は「雑修雑善」であり、川のように有限で小さいものでしかないということ。それに対して、起こしてしまう悪は、「恒沙無明」の背景から出てくるから、その罪業性は海水のように計ることのできない量であるということであろう。
  ともかく、人間を本来性へと翻すための道筋は、いわば無限に遠い道のりだということである。その人間の困難性の一切を摂して、一挙に「大宝海水」に転ずるはたらきが「名号不思議」の作用である。この不可思議の願力を、「願海」という喩えで示しているのである。「名号不思議の海水は 逆謗の死骸(しがい)もとどまらず 衆悪の万川帰しぬれば 功徳のうしおに一味なり」の和讃は、この願海のはたらきが「大行」として現前する風光を語っているに相違ない。
   この大行の大功徳、すなわち苦悩する衆生の迷妄の事実を清浄なる本来性へ転換して現前の事実とすることはいかにして成り立つか。ここに法蔵願心の菩薩行の、「兆載永劫(ちょうさいようごう)」の「忍力成就」のご苦労がある。これを表すのが、善導の三心釈だと親鸞は気づいたのである。(2014年8月)

最近の『今との出会い』一覧
Backnember ページトップへ
濁浪清風今との出会いブックレビュー
研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス