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濁浪清風
親鸞教学の現代的課題――――生まれ直しの思想(4)

  善導が『観経疏』「玄義分」で「横超断四流(おうちょうだんしる)」と言っている。このことを親鸞は『教行信証』「信巻」で、信心の内容として考察している。この「横超」については、「願力回向」という意味であると了解し、自力の発想を「竪(しゅ)」とするのに対して、本願を信ずるのを「横(おう)」と表現すると定義される。これによって、本願成就の信心を、「横超の菩提心」であるとされるのである。
  その願力回向の信心には、「信の一念」ということがあるとし、その願成就の一念において「横超断四流」という意味が、われら衆生に与えられることを解明しているのである。その場合、「断」とは、生死流転の流れを「横さま」に「断絶」するのだ、とされる。この「横さま」に截(き)るということが、われわれには、なかなか了解できないのである。
  親鸞は、この意味を明らかにするについて、善導の『般舟讃』から「厭(いと)えばすなわち娑婆(しゃば)永く隔(へだ)つ、欣(ねが)えばすなわち浄土に常に居(こ)せり。隔つればすなわち六道の因亡(もう)じ、輪廻(りんね)の果自(おの)ずから滅す。」という文を引かれている。この文については、『御消息』に「『般舟讃』には、「信心の人はその心(しん)すでに浄土に居す」と釈したまえり。居すというは、浄土に、信心の人のこころ、つねにいたりというこころなり。」と言われている。
   「信巻」では、この『般舟讃』の文に続いて、『往生礼讃』から、「前念に命終(みょうじゅう)して後念にすなわちかの国にうまれて、長時(じょうじ)・永劫(ようごう)に常に無為の法楽を受く。」という文を引かれている。この「前念命終 後念即生」について、「本願を信受するは、前念命終なり」と、『愚禿鈔』に書かれているのである。
   この言葉に対する情熱的な思索をされたのが、曽我量深の七百回御遠忌記念講演「信に死し願に生きよ」であった。「前念命終」とは信に死ぬことであり、「後念即生」は願に生きることである、という意味である、と。親鸞の引文の意図が、「横超断四流」の意味の解明にあるのであるから、「横超」を受けてわれらに成り立つ願成就の信心には、「死して生きる」ような生活の意味転換が与えられるのだ、ということを明らかにするのである。
   しかし、竪型(たてがた)の発想(すなわち自力の執心)を切り捨てられないわれら衆生は、いつまでも、煩悩と本願成就の報土は矛盾するではないか、と発想するのである。だから、親鸞は善導の言葉によって、「横超の菩提心」は「無漏(むろ)」の「金剛心」なのだ、と言われる。煩悩の身であるが、如来回向の信心は無漏のこころであり、だからこそ「浄土にすでに居せり」とも言えるのである、と。(2015年1月)

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