親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 濁浪清風
濁浪清風
親鸞教学の現代的課題――――生まれ直しの思想(5)

  善導の「横超断四流(おうちょうだんしる)」の文に触れつつ考察しようとしている。従来は、この問題を親鸞が「信巻」で扱う意味を、「信の一念」から切り離して、信心の一般的な意味として扱ってきていたようである。それだと、横超は如来の側のはたらきであり、われら凡夫(ぼんぶ)はこの濁世(じょくせ)から足を抜けずに、やはり死ぬときにあの世の「お浄土」に生まれ直すのであると、考えられることになる。この理解は、親鸞が引いている『般舟讃』や『往生礼讃』の文の意味を、「信の一念」の内実として如来の回向によって衆生の「金剛心」に施与(せよ)するのだという、「横超」による「断四流」の功徳をまったく見ようとしないことになりはしないか。
  そもそも、われら凡夫に真実信心が成り立つことが、「如来の回向なかりせば」絶対にありえないというのが、親鸞の自覚である。凡夫は自己の内なる努力などでは、絶対に如来の純粋なる心に対応できない。宿業煩悩(しゅくごうぼんのう)の繋縛(けばく)ある身には、無漏(むろ)の心などに関係をもてる可能性などはない。それが「信心の人のこころ、つねに浄土に居(い)たり」と言い得るのは、如来回向の大きなはたらきを信ずるからではないのか。
  われらにいかにして、「金剛」の心などというものが起こり得るか。「金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光照護して ながく生死をへだてける」(高僧和讃)という和讃の意味には、金剛堅固の信心がもしも獲得(ぎゃくとく)されるならば、という厳粛な限定がついている。しかし、信心獲得が起こるなら、「ながく生死をへだて」ているのだと言うのである。これをしっかりと確認せずに、「往生は現生か、臨終か」というような議論をしているのは、まったくナンセンスとしか言えないのではないか。
   「金剛心」は言うまでもなく、善導の『観経疏』の「共発(ぐほつ)金剛志」と「正受金剛心」の課題である。愚かな凡夫にいかにして「金剛志」などが起こると善導は言うのであろうか。この言葉は一見すると、どう見てもいわゆる竪型の菩提心にしか見えない。それならわれらには起こるはずがない。「自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず 常没流転(じょうもつるてん)の凡愚(ぼんぐ)は いかでか発起せしむべき」(正像末和讃)と言われるとおりであろう。
   しかし、この前に善導は「各発(かくほつ)無上心」と言っている。それと異なる言葉「共発金剛志」で何かを表そうとしているのだ、と親鸞は気づいた。それを「各発」とは自力の意志、すなわち宿業因縁で各人に起こる異なった意欲、それを「菩提心」と言うなら、これは「自力聖道の菩提心」であろう。それに対する「共発」とは何か。一切衆生を担う法蔵願心を暗示しているに相違ない、と親鸞はにらんだのではないか。
   共発の菩提心を法蔵願力であると信ずるなら、その信心こそが、「浄土の菩提心」であると言えよう。この願力に信順することは、超世無上の意味をこの生死の生活に見いだすからである。そのことを「弥陀の心光照護して ながく生死をへだてける」と讃嘆するのではないか。(2015年2月)

最近の『今との出会い』一覧
Backnember ページトップへ
濁浪清風今との出会いブックレビュー
研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス