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濁浪清風
親鸞教学の現代的課題――――生まれ直しの思想(14)

  親鸞は、「横超(おうちょう)の信心」が「金剛心」であることを、善導の「共発金剛志(ぐほつこんごうし)」、および「正受金剛心」という語を手がかりに考察している。そしてそのときに、「二河譬(にがひ)」にある「衆生貪瞋煩悩中(しゅじょうとんじんぼうんのうちゅう) 能生清浄願往生心(のうしょうしょうじょうがんおうじょうしん)」を取り出して、ここに金剛心が生起することを見いだしている。「能生清浄願心というは、金剛の信心を獲得(ぎゃくとく)するなり」と。金剛とは、不変不壊(ふえ)であることの象徴であり、純粋無漏(むろ)であるともされている。貪瞋煩悩の生活のただなかに、金剛心が発起(ほっき)するのだというのである。煩悩具足であることが、金剛心と矛盾すると感じるのが、われらの常識的感覚である。それを突破する質をもつ「こころ」が、われら凡夫(ぼんぶ)に生起するのだと言われるのである。ただそのときに「願往生心」から「往生」の語を外している。このことの意味は別に考察したい。その「能生清浄願心」の具体的事実が、「雲霧之下明無闇(雲霧の下、明らかにして闇〈くら〉きことなきがごとし)」を成り立たせるのではないか。
  煩悩生活の闇の根源を、大悲が洗い流していて、表層の煩悩生活は、縁によって生滅するけれども、その下には明るい地下層があるということである。このことは、深層意識に張り付いている倶生起(くしょうき)の煩悩に、光明が差していることを明らかに自覚することではないか。末那(まな)識を具した深層意識とは、われらの意識生活を昼夜を分かたず支え続ける「阿頼耶(あらや)識」である。この阿頼耶識は生死相続の果をすべて引き受けて歩み続ける生命識である。一切衆生を射程にして兆載永劫(ちょうさいようごう)に修行すると語られる「法蔵願心」は、この阿頼耶識の実存的意味を物語的に象徴するのであろうと思う。そうであるから親鸞が、「三恒河沙(さんごうがしゃ)の諸仏の 出世のみもとにありしとき 大菩提心おこせども 自力かなわで流転(るてん)せり」と和讃される意味を、この阿頼耶識の意味において考察できるのではないかと思う。
  永劫の流転を引き受けている阿頼耶識は、業の総報の果体であるとされる。この苦悩の実存たる業報の主体を、はたらきの場として引き受けるものが大悲の願たる法蔵魂である。しかし、無限の光明となろうとする法蔵願心が、この苦悩の主体のどこに「破闇満願(はあんまんがん)」の事実を刻印できるのであろうか。
  思うに、阿頼耶識には「不可知の執受と処と了」ということがあるとされる。「不可知の執受」とは、「有根身(うこんじん)と種子(しゅうじ)」である。つまり、未来の可能性(種子)をはらみ、身体(機根を総合した身)をもっているということである。聖教を聞法した経験(聞熏習〈もんくんじゅう〉)はここに種子となって蓄積する。しかし、主体に熏習した種子が、そのままで光明を出すとは言えない。聞熏習の種子が現行するときは、表層意識のレベル(転識)に信心の明るみが出現することになる。しかし、表層に煩悩の雲霧が覆っていても、深層に光明の明るみがあるとはどういうことなのか。
(2015年11月)

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