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濁浪清風
親鸞教学の現代的課題――――生まれ直しの思想(18)

  親鸞が明らかにする「金剛の信心」は、貪瞋(とんじん)煩悩の生活のまっただなかに発起(ほっき)する。それは煩悩の身を障碍(がい)とせずに、凡夫の生活のところに法蔵願心が超発(ちょうほつ)することだから、「能生清浄(のうしょうしょうじょう)の願心」と言われる。この願心の発起は、「横超(おうちょう)」であると示されるのである。
  われら凡心の発想は、これになかなかなじめない。常に自我の執心から、自分で発想することしか了解できないからである。如来の悲願が愚凡の衆生を場として発起するなどと言うことは、まったく理解不可能なのである。だから『無量寿経』は経典を結ぶにあたって、「難中之難 無過此難(難きが中に難し、これに過ぎて難きことなし」と確認し、親鸞は「正信偈」の依経分の結びに「信楽受持甚以難(信楽〔しんぎょう〕受持すること、はなはだもって難し) 難中之難無過斯(難の中の難、これに過ぎたるはなし)」と押さえられるのである。
  如来の大悲が名号を選択して、貪瞋煩悩を妨げとしない光明のはたらきを衆生に恵むことは、先回述べたように、煩悩の闇と大悲の光明が出遇(あ)う場を開くことである。この値遇(ちぐう)の場の事実が発起することを、本願成就文が「諸有衆生(しょうしゅじょう) 聞其名号(もんごみょうごう) 信心歓喜(しんじんかんぎ)」と言う。この信心は、煩悩の生活主体たる凡心とは、まったく質を異にした清浄願心の回向成就なのであるが、まったく異質であるということは、凡心の延長上に思い描く清浄性なのではない。それを「横」と表現するのである。
  平面上で方向の異なる直線なら、かならずぶつからざるを得ないのだが、面が平行する平面上の線であれば、決して衝突することはない。この譬喩(ひゆ)のように、いわば、願力がはたらく面は、凡心の動く面とは次元を異にしているのである。凡夫の貪瞋煩悩の生活中に白道が発起すると表現されるが、その質がまったく異なることを了解するなら、白道を「金剛心の発起」と親鸞が言う意味が少しくうなずけるのではないか。
   この金剛の信心が、「清浄報土の真因」であると言う。因果で信心の生活を表すのは、『大無量寿経』の本願の教示の特質である。それは、われら凡夫の生活と如来清浄本願の交差するところに、未来世の五濁(ごじょく)悪世の群生(ぐんじょう)に語りかけようとする「本願」の救済の事実が生起するからであろう。しかし、この因果は凡夫の生活する平面の因果ではない。清浄願心の因果である。この因果は、本来正覚の智慧の内容を衆生に語りかけるための、教えが方便する因果であって、この世の時間を挟む因果ではない。迷妄の衆生の平面とあたかも交差するごとくに語るが、異次元の平面のことなのである。
   しかし、大悲の側から、凡愚を摂して大悲の場に触れしめるために、接点を「真因」として回向すると言われるのである。実は、この因はそのまま清浄仏土の果に直結しているのである。 (2016年3月)

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