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濁浪清風
宿業を大地として(4)

  宿業の「不共業(ふぐうごう)」としての面を、宗教的自覚の必須の契機として考察することは、単に個人的事件や個人的事情の時間的背景を考察するということではない。一人ひとりが独立者として自分自身を生きているのではあるが、その苦悩のあり方には、人間としての共通の悩み方があり、その苦悩の本質の自覚は、しかし自分自身が気づくほかに道がないということなのである。言うならば、個人的事情を個人的に処理するのではなく、個人の苦悩を人類的苦悩の本質からの解放として、自覚しなければならないということである。

  『無量寿経』の物語の主人公である法蔵菩薩は、「十方諸仏国土の衆生」に呼びかけて、真実の明るみを与えようと願を起こしている。その明るみに照らされているのは、あらゆる国土の衆生であるが、その宗教的明るみに気づくのは、一人ひとりなのである。それが精神的な翻(ひるがえ)りとしての宗教的な救済の出来事なのである。「摂取不捨」の光明が、「念仏の衆生を摂取して捨てず」と言われる所以(ゆえん)である。如来の智眼から見れば、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」なのであるが、衆生は煩悩に眼を覆われてそれを見ることができない、ということでもある。これは、有情(うじょう)がひとりでに覚(さと)りを開く能力が備わっているということではない。一切衆生は必ず生きることを苦悩と感じる存在であり、その根本原因は「無明」とともに生きているという衆生の存在構造にある、という仏陀の智見と、それを気づかせたいという慈悲心から出ている表現なのである。その智見から見れば、衆生は出遇(あ)うべき縁が与えられれば、必ず目覚める可能性をもち、無明から解放されうる存在であると見ているということである。

  そうしてみると、十方の衆生の苦悩をみそなわして、その解放を願うことを呼びかける法蔵願心とは、この仏法との出遇いを待ち続ける衆生の深層の宗教的要求を表そうとする教えなのではないか。苦悩の深い闇に身を沈めて、それからの脱出を願い続ける深層の要求があることを本願の物語りで表そうとするのではないか。見えざる深層の闇に、縁が催すなら、必ずや光明に目覚めることが衆生に待たれている。そこに法蔵願心の大弘誓(だいぐぜい)が、一如宝海(いちにょほうかい)から発起せざるをえないのだ、ということなのであろう。

  ここに、宿業因縁の深き闇と法蔵願心との感応を見いだしたのが、曽我量深の「法蔵菩薩は阿頼耶識(あらやしき)なり」という直覚だったのではないか。一切の経験の蓄積を自分自身とするはたらきを、阿頼耶(蔵)という名の根本主体として見いだしてきたことと、衆生の宗教的要求が無始以来の苦悩の闇から出てくるという感覚が、響き合っているのではなかろうか。(2016年9月)

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