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濁浪清風
宿業を大地として(7)

  意識が現行(げんぎょう)するときには、必ず意識の内容を意識するという形で起こる。これを意識の二分と言い、意識それ自体を見分とし、その意識の内容を相分と名付けている。この二分は、意識する側と意識される内容が、同時に起こっている意識の在り方であるが、そういう意識作用とその内容として考えずに、主体と客体として分別してしまう。それを虚妄(こもう)分別という。しかし、いかに虚妄分別されて意識が起こっていても、意識の事実それ自体は二分として起こっている意識作用である。その本来の意識作用と、それを分別して主・客に分けてしまうこととが重なっているのである。

  経験がいかに迷妄の熏習(くんじゅう)として蓄積されていても、その根元には、本来の意識作用自体が存するのである。仏陀からの清浄法界(しょうじょうほっかい)からはたらき出た言葉は、その本来性を回復すべく響くのであろう。どれほど妄念の雲霧(うんむ)が深く覆(おお)っていようとも、本来から呼びかける言葉の力が、浄法界の経験として熏習して、妄念の意識を転換させるまで成長するのである。

  阿頼耶(あらや)識は、妄念の経験も純粋な一如の経験をも熏習しうる根源的な主体作用であると言うことができる。純粋一如の本来性は不生不滅であって、意識の在り方で増減しない。しかし、妄念の意識の状態では無明煩悩に覆われているのであるから、現行の意識においては自覚されないから、無漏(むろ)とは言えない。けれど、存在の本来性としては消えたわけではない。それで阿頼耶識は、「転識得智(てんじきとくち)」して菩提の自覚が生ずるまでは、有漏(うろ)の意識の根拠であり、無始以来の流転の熏習を蓄積しているとされるのである。

  始め無き背景を受けて現在の意識を生きているということには、個体によって異なる遇縁の違いが蓄積されている。それを過去世の業と表現する。個としての存在は業縁(ごうえん)によって成り立つのであるから、だれひとりとして他と同じ存在はないのである。業縁を受けた個体の意識生活が、現在のそれぞれの事実として現行しているのである。

   その個としての阿頼耶識に仏法の事実が興起するには、教えとの値遇(ちぐう)とその教えを聞き届ける聞熏習(もんくんじゅう)が必要である。この聞熏習が遇縁の個体に起こることを、物語を通して呼びかけるのが、『無量寿経』の法蔵発願の意味なのであろうと思う。これを親鸞が、「たまたま行信を獲(え)ば、遠く宿縁を慶(よろこ)べ」(『教行信証』総序)と語るのである。縁あって教えを聞くとき、妄念の意識から本来の在り方への転換が起こる。法蔵菩薩の本願が、個体の上に現に成就するとは、無始以来の妄念の覆いを破る力が、妄念よりも深い意識の本来性から発起するのだと表現することなのであろう。(続く)(2016年12月)

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