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濁浪清風
宿業を大地として(8)

  法蔵菩薩の物語には、諸仏浄土のなかから、弥陀の浄土を選択摂取(せんじゃくせっしゅ)するということがある。この物語の発願の段にある「無上殊勝(しゅしょう)の願を超発(ちょうほつ)す」という言葉を、親鸞は「信巻」の「横超断四流(おうちょうだんしる)」釈に取り上げている。法蔵菩薩の選択には、名号の選択と浄土の選択があるのだが、さらには衆生に信心を起こさせるための苦労が、ことさらに「兆載永劫(ちょうさいようごう)」の時をかけて、「至心」(真実)を回向し、「信楽(しんぎょう)」を回向し、「欲生心」を回向成就するとされている。このことが語るのは、愚かな凡夫には真実は無いし、まして無限なる大悲から回向される名号には、まったくそれとは気づけないということがあるからである。難中の難の突破のために、兆載の時をかけることが、願の「超発」するいわれだというのである。

  さらに、願生の意欲は「横超」という意味の菩提心であるという。この願生は、自力の意識からでは、まったく見えないのである。その横超の意味に、無上殊勝の願が超発するということが見いだされ、それが「信は願より生ず」るということを表すのだとされる。その横超という言葉は、「横超断四流」という善導の言葉と、「横截五悪趣(おうぜつごあくしゅ)」という『大経』の言葉に結びついて出されてくるのである。

  生死流転の生存には、無明の闇が付帯している。その無明の闇を破らんとして、阿弥陀の光明が摂取の心光をもたらすのである。それを「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨(光明遍〈あまね〉く十方世界を照らす。念仏の衆生を摂取して捨てたまわず。)」(『観経』)と言われている。ただ念仏の衆生を摂取して捨てずとは、その大悲に触れて闇が晴れるということであろう。ここに善導は「摂取不捨 故名阿弥陀」と注釈し、それによって親鸞は、名号には摂取不捨のはたらきがあり、それを心光常護というのだと納得したのである。

  それが法蔵菩薩による回向の信楽の背景である。そこから、凡夫の回心(えしん)までには、兆載の時間と恒沙(ごうじゃ)の諸仏世界を超えゆく距離があるという。こういう形で、凡夫のこころに付帯する執念のような疑いを表すのである。しかもその底に、如来回向の欲生心が歩んでいると見られた。「如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情を捨てずして 回向を首(しゅ)としたまいて 大悲心をば成就せり」(聖典503頁)とは、なかんずく如来の欲生心の深さに感動したことを表しているのであろう。

   その欲生心は、「四流を断つ」ために起こされるのだから、これが横超の質に関わることになる。常没常流転とは、凡夫の実状である。この四流(生老病死)を断つために、横さまに本願力がはたらいてくるといわれるのである。(続く)(2017年1月)

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