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濁浪清風
横超の大誓願(2)

  「我ら」という言葉があるように、私たちは人と人の間に生存が与えられる。しかし、間を一緒に生きている「他」なる存在を、しっかり理解することほど困難なことはない。そこに、他心通という能力が大きな意味をもつ。しかし、その他人を理解する能力としての他心通には、真に苦悩に同感しそれを脱出させる智慧は備わっていない。もし他心通の智慧を利用して悪業をはたらくなら、恐ろしいことにもなりうるのである。だから、無限な能力とはいっても、この無限性はいわば、「平面的」な方向の無限性だと言うべきなのである。

  この平面的な方向に対して、一切の衆生を平等に摂(おさ)め取り真実の明るみを与えようという方向をもった悲願を、『無量寿経』は語り出す。この願心は、大乗仏教を摂する菩提心であるともいえる。『華厳経』があくなき持続を繰り返しつつ、菩提心とは何かを探求しているのだが、その願心を包摂してしかも一切衆生の救済という地平を開こうとするのである。

  この願心の発起を、「弘誓を超発する」と経文は語る。ここに言われる「超発」こそが、『無量寿経』の顕(あらわ)そうとする横さまなる超越性であると親鸞は見たのである。一切を包摂しつつ、しかも一切に平面性を突破する方向を開示しようとするからである。この超越性には、「一切衆生」という課題を荷負して、しかも平等に「無明の闇を破って衆生の深い自己成就の願い」を成就しようとする課題があるのである。

  そもそも、私たちが何らかの要求を起こすのは、それぞれの事情がそういう要求を起こさずにはおられないようになるからであろう。しかし大乗仏教の根本課題は、いかなる事情の下にあるかを問わず、人間としての苦悩の在り方を根源的に突破させようというのである。そもそも仏陀の第一の発見は「一切皆苦」であった。存在の苦悩は、事情の善し悪しの問題ではなく、生命存在自体が諸行無常であり、与えられた事実を苦悩として感受するしかない存在だ、と見たのである。その苦たる根本の原因が、一切衆生のいのちの根に植え込まれている「根本無明」にあるということなのである。この根本無明を摧破(ざいは)するところに、大悲の願が無碍の光明であろうとする意欲があるのである。

   この一切衆生の根本無明を根源的に背負って、その闇を真に破ることを誓うのが、大乗の菩提心なのであり、それこそが法蔵願心が発起する地平なのである。されば、その願心の興起を「超発」と表現されているのは、いかなる意味なのであろうか。(続) (2018年7月)

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