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横超の大誓願(5)

  「横超」とは、大悲の如来と煩悩具足の凡夫との出遇(あ)いが、超越的に起こることであり、その出遇いを衆生の側から見るならば、自力の分別や反省の思いなどを破って如来回向の信心が発起することなのである。願心は「超発無上殊勝願」(無上殊勝の願を超発(ちょうほつ)せり)とか「超発於誓」(誓いを超発す)と言われ、一切衆生に平等の救済を開こうと発起するのであり、衆生がそれを聞き当て聞信することができた場合の自覚の在り方を「よこさま」と示しているのである。

  ところで、この如来からの超越的な発起の表現を、親鸞は衆生に発起する信心の本質にも使いうるのではないかと気づかれた。信心は涅槃の真因であり、仏になる因であるからには菩提心なのではあるが、しかし自力の菩提心ではない。本願成就の信心であり、だから「横超の菩提心」だと言うのである。信心は横超の菩提心なのである。この気づきの端緒は、『大無量寿経』下巻のいわゆる三毒段の始めに置かれた言葉であったろう。そこには「必得超絶去 往生安養国 横截五悪趣 悪趣自然閉」(必ず超絶して去(す)つることを得て、安養国に往生して、横に五悪趣を截(き)り、悪趣自然(じねん)に閉じん。)とある。親鸞はこの文を「信巻」の「横超断四流(しる)」釈の段に引用されるのである(聖典243頁)。

  善導による「十四行偈」(帰三宝偈・勧衆偈)の「共発金剛志 横超断四流」には、信心にかかわる二つの問題がある。すなわち信心が「金剛」であるということと、その信心は「横超断四流」という作用を有するのだということである。本願成就の信心がこの二つの性質を有(も)っていることを、親鸞は「信巻」で論じている。特にこの中で断じられるべき「四流」には「生老病死」の四苦を当て、さらには『涅槃経』によって「欲暴・有暴・見暴・無明暴」をも引き出している(聖典244頁)。

  この四流は、我ら衆生の生存を流転輪回(状況に振り回され自分自身を見失わせてしまう在り方)させる生命の暴流である。その流れから自己を取り戻す依り処が涅槃なのであり、それを「洲渚(すしょ)」だと『涅槃経』によって明示されている(聖典244頁)。そして信心の発起は、「六趣四生の因亡じ果滅す」ということが現前する事実なのだ、とされるのである。

   確かに、一応の論理的必然性としては、このことには強い説得力がある。けれども、我ら凡夫の生命存在の事実には、煩悩が惹起(じゃっき)して止むことがない。この矛盾をどう処理すればよいのか。その隘路(あいろ)を、生前と死後に分断して処置しようとするのが、親鸞以外の多くの浄土教学者だった。(続) (2018年10月)

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