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横超の大誓願(9)

  親鸞は、善導の「正受金剛心」において、自己にたまわる信心が金剛の心であることを、その根拠の普遍性において論証した。そしてその論証が自己に発起する信心の本質を表しており、それゆえに、煩悩具足・生死罪濁である衆生を見抜いた仏智の大悲が、唯円の不安をも、親鸞自身に催す疑念をも突破する光明無量の力であると信じ得ることを明らかにしたのである。

  ここまで深く信じるのは、一切衆生における信心の同質性を明証するためであろう。大悲が一如宝海から立ち上がって、愚かなる一切の凡愚をすくい上げるための方策方便として、名号を摂取した。この大悲の物語を徹底して信受することによって、善導の「共発(ぐほつ)金剛志」なる「共発」の意味を知ることができた。

  大悲の共発性は、衆生の共業(ぐうごう)である生命力をみそなわし、人類の共業たる煩悩具足性を許容してこそ起こり得ることである。個人性にとらわれる凡夫の発想からは、相容れない概念なのである。人間同士の間で、たまたま同じような志向が起こったとしても、各自の業報の事情が移ろいゆけば、たちまちに別業の所感として異なった判断や異なった果報を感じてしまうのである。だから善導は、各発の菩提心は起こっても、「生死甚難厭 仏法復難欣」(生死はなはだ厭〈いと〉いがたく、仏法またねがいがたし)と言われているし、法然はそういう菩提心は不必要だと決定することができたのである。この善導の言う共発性を、大悲の物語が「十方衆生」と呼びかけて、その救済を成就するための「志願無倦」であると教えてくださっているのである。

  この共発性は衆生に横断的に起こるものとして、『無量寿経』は「横截(おうぜつ)五悪趣」と言われたに相違ない。それを善導は「横超断四流(しる)」と受け止めた。すなわち、四流を横さまに断ずるということと、五悪趣を横さまに截(き)るということは、いずれも衆生の苦悩をみそなわして、大悲心をもって衆生を救済せんとする如来の志願なのだ、と。この悲願を深く信ずること以外には、「横さまに超越する」道はあり得ない。願心が超発するとは、衆生の共業の根底に呼びかけてくる悲願からの表現である。それを凡心の懺悔(さんげ)をともないつつ、深く聞き当てていく道のみが、この共発金剛志に凡夫が相応し得る在り方なのである。

   共発金剛志の共発性は、衆生に横断的に「欲生せよ」と呼びかけるから、横超と言うのである。衆生個人からは、この横超は自己の外から来るごとくに表現するほかないのである。より深い自己の自覚に至り得るなら、「根源的自己」において横超的な欲生を知り得るのかもしれない。(続) (2019年2月)

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