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横超の大誓願(11)

  「横超の大誓願」について考察している。この言葉で表現している誓願による「横超」とは、一体何であるのか。

  「誓願による横超」が、誓願の「大」なることを表そうとするのであるなら、大乗の悲願たる一切衆生の平等の済度を表していることになる。平等の救いを「横」の方向で表すということを、親鸞は「竪(たて)」の方向が自力の努力を表し、横はこの自力を無効であると考察し本願他力に由るとする信心の性質を示しているのであるとした。

  さらに、「横」で表そうとする問題を、菩提心の問題と結びつけ、横超の菩提心と言われる。その親鸞の智見は、善導大師の「共発(ぐほつ)金剛志」に由来するから、「共発」、すなわち共通性ないし普遍性ではないかと、筆者は考察した。このことから「横超」が、衆生に横断的に「超」の課題を恵むことであろうかと考えたわけである。

  このことを「衆生の別業(べつごう)による差異を突破して、共業(ぐうごう)の根底まで掘り下げた「共通性」を見据えて、呼びかけている」のだと領解した。これによって親鸞が「われ」と「われら」の問題を、同じ平面で領解している不思議さを同心できるのではないかと思うのである。例えば、「如来の回向に帰入して 願作仏心をうるひとは 自力の回向をすてはてて 利益有情はきわもなし」という和讃(聖典502頁)がある。この和讃は、「願作仏心」という問題を如来の回向に帰入することによって解決するなら、「度衆生心」という利他の課題、すなわち「利益有情はきわもなし」と見えてくると言うのである。

   これは言うならば、自己の解決が同時に他己の解決になるということではないか。これは普通一般の考えでは理解できないところである。自己はどこまでも、他己とは異なって現存している。「われ」と「われら」では、利害が一致しないことが、この現世の事実なのである。自利は容易には利他にならない。だからこそ菩薩道は大乗の課題として、自利と利他を同時交互に成就することを願うのではないか。

   天親の『浄土論』では、五念門行の結果が「自利利他して速やかに阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成就」(聖典145頁)すると言われている。これを親鸞は『無量寿経』に返して、法蔵願心の成就だとされたのである。そして、その作用の一切を、「如来の回向」において衆生に施与するのだと言われるのである。この「如来の回向」に帰入するとは、一切の凡夫のはからいを突破して、大悲をもって呼びかける願力に帰入することである。そのときに、自己の救済と他己の救済が、同時に成り立つと信ずるのだと言うのである。(続) (2019年4月)

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