親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内研究員一覧
 HOME > 濁浪清風
濁浪清風
横超の大誓願(13)

  法蔵菩薩の大悲心を自己一人がためと感受する信念は、「横超(おうちょう)の菩提心」であると親鸞は宣言する。個人に法蔵願心を受け止める信心が、「横超」であり、自利利他という大乗の菩提心の課題を内に包むというのである。このことを、天親の『浄土論』の「一心」の内容として展開しているのが、次の和讃である。

尽十方の無碍光仏 一心に帰命するをこそ 天親論主のみことには 願作仏心とのべたまえ
願作仏の心はこれ 度衆生のこころなり 度衆生の心はこれ 利他真実の信心なり
信心すなわち一心なり 一心すなわち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなわち他力なり (聖典491頁)

  こういうように、一心が「願作仏心」でありすなわち「度衆生心」であるから、「自利利他」を満足する心であり、それがすなわち菩提心であって、それは「他力」であると言う。これは、親鸞による天親の『浄土論』の受け止めなのであるが、もし『浄土論』を文字通りに読もうとするのであれば、一心は「大菩薩」の菩提心であり、それが天親菩薩の意志によるのだとも言えるであろう。しかしそれを曇鸞の『論註』を通せば、次の和讃のようになると親鸞は言う。

論主の一心ととけるをば 曇鸞大師のみことには 煩悩成就のわれらが 他力の信とのべたもう (聖典492〜493頁)

  この和讃の背景には、親鸞が『浄土論』の五念門の主体について、深い疑念を感じていたことがあったのではなかろうか。もし、これが自力の菩提心だとするなら、「善男子善女人(ぜんなんしぜんにょにん)」を主語として解義分が始められることには、いかなる意味があるのか。そして、観察門をくぐって五念門行を成就するときに、主語が凡夫たる善男子善女人から「菩薩」の名となって、「巧方便回向(ぎょうほうべんえこう)を成就する」と説かれているのは、どういう事態なのか。そもそもなぜそれに先だって、「尽十方無碍光如来」に帰命するのか。こういう疑難の解決が、曇鸞の教示に出遇うことによって明白に与えられたということと、源空聖人の示してくださった「選択本願の念仏」による凡夫としての救済ということが、重なるのではなかろうか。それによって、煩悩成就の我らに成り立つ真実の信心に、天親の示される「自利利他成就」という課題が見通せたのではなかろうかと思われる。それにしても、次の和讃に出される問題をどう解決しうるのか。

如来の回向に帰入して 願作仏心をうるひとは 自力の回向をすてはてて 利益有情はきわもなし (聖典502頁)

  この「帰入」の主語が、我ら煩悩成就の凡夫であるのなら、「自力の回向をすてはてて」という信念には、どうやって到達できるというのであろうか。(続) (2019年6月)

最近の『濁浪清風』一覧
Backnember ページトップへ
濁浪清風今との出会いブックレビュー
研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターTwitter親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス