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濁浪清風
意欲の異質性を自覚せよ、と。――願のままに成就しているとは(7)
   親鸞は繰り返し、信心を獲得すればかならず無上涅槃を得られる、と証言される。例えば、「正信偈」で「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」と言い、「獲信見敬大慶喜 即横超絶五悪趣」とも言われる。そして、その信心を「証大涅槃之真因」(聖典211頁)と押さえられる。「証大涅槃」は、仏陀の得たであろう果徳が涅槃であるが、大乗仏教がその意味を追求して見いだした涅槃の内実を大涅槃と言う。その果徳を成就する因となるものを、成仏の因と見るのだが、その仏の因なるものを愚かな凡夫のために、大悲の本願が誓っている。その本願における成仏の因果を、親鸞は『無量寿経』の第十八願と第十一願の関係において、因果が成り立つことを見いだし、果の大涅槃を第十一願成就の文に特定されたのである。

  この因果の因は、我らのところに成り立つ第十八願成就の信心である。この因は如来の大悲心が我らに回向成就(表現的に起こる)して、「横超」的に発起する。そして、その果は因果が本願においては一体であるが故に、因位にすでに果徳が必然として確信されている。それを親鸞は、転輪王の王子が必ず転輪王になるようなものだ、と譬えられるのである。しかしその意味が、教えに随順しようとする弟子たちにとっては、了解不可能なのである。

  本願の因果を我らの体験上の因果で了解しようとするときに、果の大涅槃を我らの現実の時間内では体験不可能なのだから、臨終以後(つまり死後)にきっと成仏すると了解して済ませてしまうことになる。そうするとそれは本願の因果の成就と我らの成仏の因果が分断されることになり、『無量寿経』で本願が因果一体の上に成就であると同時に因願であると語る意味が、不透明になるのである。

  この因願・成就の同時性の難関に、親鸞はどのように立ち向かって了解したのであろうか。試みにこの難題を解くのに、我らの時間の成り立ちを通して考察してみたい。

  我らの生存は、無始以来の連綿と続いて来た生命の因果の繰り返しが、それぞれの個体に宿因(種子)として蓄えられている。それが過去の生存の持続からの施与として、現在の個人の時間に与えられ、そこに我らの生存の時間が成り立っている。そして、その現在には、常に未来への可能性が種子(可能性)として感じられている。

   唯識では「前滅後生」と言って、「今」という現在的時間は、念々に現在が過去に変わりつつ、未来が現在に開けてくると言われている。この「今」の一刹那を「信の一念」の時として考察するなら、難問たる同時因果はどうなるであろうか。(続) (2020年3月)

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