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濁浪清風
悲しみを秘めた讃嘆(2)
   諸条件に恵まれてたまたま存在するということを、如来は「無我」と自覚されたのであろうか。条件的な存在のあり方を、「因縁所生」とも教えている。それなのにわれら凡夫は自我を感じ、自我中心の感覚から、与えられている条件を不平や不満で変更しようとして止まない。

  そのような条件つきで生まれて生きていることを相対化して比較してしまうことが、ますますわれら凡夫の不平不満を増幅する。だから、仏教は比較することを「慢」として、根本煩悩に数えるのである。こうして、生存を虚心に生きようとすることが求められ、そのためにそれをさまたげる心理を「煩悩」と押さえ、その煩悩からの解脱が教えられたのであった。

  しかしながら、われらの生存状況には、虚心平気に生きるような事態ばかりに出遇うとは限らない。仏弟子たちは、釈尊によって説き出され、耳の底に残る教言を互いに確認しあいながら、僧伽を相続すべく言説を記憶にとどめる努力をしたことだろう。これらの言説がインドにおいて数百年にわたって語られ聞かれ、相続されたと言う。

   釈尊滅後数百年を経て、西暦1世紀頃になって、教言の文字化による経典の制作が起こったらしい。それが僧伽の中にいわゆる大乗仏教運動とも呼ばれ得る大きな思想の深化を呼び起こしたらしい(この仮説は、下田正弘『仏教とエクリチュール』〔東京大学出版会、2020〕による)。この運動は既存の僧伽から起こって、訳経僧などによって中国に伝達・翻訳されたのであった。

   僧伽が伝承してきた仏陀の教言が、僧伽の責任で大乗経典として編纂されるに当たっては、経典は「仏説」として釈尊の名のもとに常に編纂されたと言う。しかし、大乗の『涅槃経』はさすがに、「仏・法」とは何かという問題が問われるところに、菩薩たちの議論が中心になったのであろう。いわば、仏・法・僧の三宝が危機に瀕したのではないか。「法」の権威が、僧伽を代表する人の「記憶」から、文字による「書写経典」へと変換せざるを得ない時代を迎えたのである。

   こういうことが、親鸞の明晰な頭脳には、あるいは映っていたのではなかろうか。「正信偈」の「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」について「「如来所以興出世」というは、諸仏の世にいでたまうゆえはともうすみのりなり。「唯説弥陀本願海」ともうすは、諸仏の世にいでたまう本懐は、ひとえに弥陀の願海一乗のみのりをとかんとなり」(『尊号真像銘文』、東本願寺出版『真宗聖典』、531頁)と記載されている。

   こうして、仏教との値遇に「出世本懐」と言い得る事態が起こるためには、「弥陀の本願海」が要求されてきたのであろうか。(続) (2021年8月)

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