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濁浪清風
 先日、このセンターの研究会に、気鋭の文芸評論をしておられる加藤典洋さんをお呼びして、お話を頂いた(その概要は親鸞仏教センター通信13号掲載)。その折に、「オウム事件以後、「現世を否定する」、あるいは「彼方への欲望に身を委ねる」といった心の動きが、屈折し、萎縮して、同時代の文学の中で身をひそめるようになった。このような時代に超越性への希求、つまり宗教性への希求はどう生き延びられるか」という問題意識を出されて、「「自力の努力」が挫折した後で、超越的なものへの希求の原理を出すなら、「他力の努力」というべきものだ、これは親鸞の述べた「絶対他力」であろう」といわれた。他力だからといって、何もしないことではなかろう。何もしないのでないなら、「他力の努力」といってみよう。その他力における超越性への努力とは何であるのか。こういう展開で、珍しい問題の提示の仕方だったことと、誠実に他力による超越性を考えていこうという加藤さんの姿勢に、我々仏教センターの一同は、ぐいぐいと引き込まれた。「他力の努力」という言葉が、いままでの「他力」にまつわる誤解に対して、他力を奉ずる側から応答するべき問題を明確に提示したということでもあった。
 「他力本願ではだめだ」という。自らの努力をせずに他の条件に依存することが「他力本願」であるとされ、そういう態度を侮蔑する言葉として、「他力」が使われている。他力というから、自己の努力すなわち自力に対して、努力のないこと、とされているからである。
 それに対して、浄土真宗の立場は、親鸞によって「他力というは本願力なり」といわれているから、如来の力を表すのであって、人間が「自己をたよりとし、自己の身をたよりとして」、超越的なるものへの希求を実現することを、否定するのである。それなら、何もせずに、口を開けて待つだけなのか。そうではあるまい。何もしないというだけでは、何も人間に訴えることはできない。そうではなくて、人間の努力や行為は、状況のなかで限られたものであって、超越の方向へは少しも進まないのだ、有限の地平を動き回るのみで、決して彼方へは行けないのだ、という見極めを表しているのである。(2005年3月)
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