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濁浪清風
他力の努力
 「他力の努力」とは、いわゆる努力ではないのであろう。普通には努力するというときの意識に、必ず意志を動かして「努める」ことが必要となる。いわゆる努力意識である。これを仏教では問題にする。道を求めることも、その要求のために修行を積んだり、学問をすることも、すべて人間の努力意識による自己策励なしには持続し得ないのであるが、努力意識がある限りは、それに疲れたり、そのこと自身への無意味感に苛(さいな)まれたりする。だから、求道する菩薩たちは、この「努力意識」ということに、深い自己矛盾を見いだしてきたのである。
 菩薩道では、意志に付帯する努力意識を、「作意」と書いて「さい」と発音する。一般には「さくい」と訓(よ)むが、その場合でも、人間の行動の動機に、なにかあまり好ましくない意図が潜むことを言うものである。作意(さくい)には、悪意に近いようなものがあるが、人為(じんい)という場合にも、よろず人間が関わる限りの出来事に、なにか自然界とは異なったものであることへの居心地の悪さのような気づきがある。
 大乗の菩薩の求道は、あらゆる生き方やどのような事情にある命にも、平等の尊さと意味とを見いだして、礼拝(らいはい)していこうとする。「常不軽(じょうふぎょう)菩薩」という名で、あらゆる存在を尊ぼうとすることや、「善財童子(ぜんざいどうじ)」の名でどのような仕事に携(たずさ)わるひとにも、菩薩道を尋ねようとすることなど、さまざまな経典に表現されているとおりである。こういうことが、人間の営みとしての世俗生活にある不平等感や差別感情を突破して、与えられている生存状況を真実にうなづいて受け止めていくための方向をもっていることは明らかであろう。
 その一番の根底に、自分自身の行動の動機に潜む自己関心の影とでもいうべきものへの注意があるのではなかろうか。「作意(さい)」が残るということは、自己の行為経験を自己評価したり、逆に、過ぎ去った過去の出来事に深い執着や後悔や罪障感を抱いて、天空を飛ぶ野鳥のような自由さには達し得ないのであろう。してみると、「自力」が問題とされるのは、努力することそれ自身なのではなく、その努力に付帯する自己顕示欲とか、自己拡張欲のなす「自害害他(じがいがいた)」(自利利他に対する)を指摘することに、眼目があるように思えるのである。(2005年6月)
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