親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 濁浪清風
濁浪清風
他力の努力(5)
 「他力本願」という言葉は、自分以外の他の力や自分の外の因縁に期待して、自分は何の努力もしないことを表すかのように理解され、そういう意味の文脈で使われてしまっている。けれど、仏教語としての「本願他力」はそういう意味ではない。何の努力もしないということではなく、努力にまつわる執着を明示する言葉なのだと思う。
 仏教の究極の覚(さと)りを「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」(無上菩提〈むじょうぼだい〉)というが、この覚りの内容を「大涅槃(だいねはん)」という。『涅槃経』では、涅槃は解脱(げだつ)でもあり法性(ほっしょう)でもあり、一如(いちにょ)でもあり法身(ほっしん)でもあり、仏性(ぶっしょう)でもあるという。こういう一連の言葉は、動きゆく意識の内容に捉えられる物事ではない。こういうことを仏教の学びにおいては、「無為法(むいほう)」という言葉で表している。
 無為法は、人間の有為(〈うい〉・時間や条件とともに動いていくこと)の行為や努力や学問では、絶対に包むことができない分位なのである。人間の限界を超えた領域なのである。けれども、人間はそういう次元の覚りに触れなければたすからないのだ、というのが仏陀の教えの本質なのである。サンスカーラという言葉は、一切の存在する物事を表わし、その移ろいゆくすがたが、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」とか「生死(しょうじ)」とかと言われるが、そういう認識を翻(ひるがえ)して、「動くことのないこと」(不動心)や時間とかかわりなく、変わらないこと(金剛心)に触れるということが、仏陀が示した方向なのである。人間の限界を超えた無限の境位を、仏智見(ぶっちけん)に立つなら獲得できるとするのである。
 こういうことを探し求めるときに、自己の限界を見定めざるを得なかったのが、浄土の教えをよりどころとした伝承なのである。すなわち、自分自身はこの世では決して覚りを開くことができないから、本願他力の如来の世界に生まれて、不変の境位(不退転〈ふたいてん〉)をいただこうというのである。こういう認識と自覚は、自我意識と努力意識でこの世が成り立っているということに執着している「常識世界」にとっては、とても理解し難いことかもしれない。そこに、「信ずることは難しい」ということが教えられるのである(2005年10月)。
最近の『今との出会い』一覧
Backnember ページトップへ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス