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濁浪清風
場について(5)
 浄土の教えは、この世界とは時間空間を異にする、別の世界が有るという形態で教えが立てられている。現代の私たちは、科学的な知識や実証性の恩恵に取り巻かれ、その情報を確かなものとして生活している。したがって、異次元の世界を前提にするような浄土の教えは、現代の私たちの一般的な生活感覚からは、素直に受け入れにくくなっていると思う。
 しかし、大悲というはたらきが、どのように罪悪の業報(ごうほう)に苦しむ衆生をも、たすけなければやまないとして、永劫(ようごう)にわれらに呼びかけているのだ、ということ。すなわち、存在することの根底に有無を超えた真理として、「一如(いちにょ)」と名づける事実があることを発見した無我の智慧を、仏陀はあたかも「有(う)」として、異次元の世界のごとくに語ろうとしたのである。これを「大悲の方便」という。方便の荘厳(しょうごん)は大悲の表現なのである。無明(むみょう)に蔽(おお)われた煩悩(ぼんのう)の衆生、この自覚を徹底するなら、無我の智慧に背反してしか生きられない私たちは、決して「一如」を体験することなどはあり得ないことを知らねばならない。
 しかし、どれほど背反的に生きている衆生も、真実のあり方に帰らなければ真の平安と平等とを回復することはない。だから、方便してそこ(真実のあり方)へ呼び返さずにはおかないというのが、大悲の本願が表現する「荘厳」の意図なのである。だから、「願心の荘厳」が浄土なのだ(『浄土論』)、という天親菩薩の押さえを、親鸞は浄土の教えの核心であると理解したのである。
 「場」ということからするなら、私たちは自覚していなくとも生活する「場」の根底に、例えば「重力場」もあるし、「磁力場」もあって、知らなくともそのはたらきを受けつつ生きている。あたかもそれと同じように、如来の大悲が私たちの生活を明るみにもたらそうとしてはたらき続けていても、私たちの眼は煩悩に眩(くら)まされていて、それを「場」だとは知らない。「煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」(「高僧和讃」〈源信僧都和讃〉『真宗聖典』497-498頁、東本願寺出版部)とは、この間の消息を語っている。この見えざる大悲の空間を、あたかも異次元の空間のごとくに表現して、見えざる「場」を自覚させようというのが、大悲の方便としての願心荘厳なのではないか(2006年4月)。
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