親鸞仏教センター
お問い合わせ
 
「現代を生きる人々」と対話するために
HOME親鸞仏教センター概要アクセスサイトマップ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内ブックレビュー
 HOME > 濁浪清風
濁浪清風
場について(13)
 大悲とは、「如来の無縁の慈悲」であるという。しかし親鸞は、天親菩薩の『浄土論』の「回向為首得成就大悲心故」(回向を首〈しゅ〉として大悲心を成就することを得るがゆえに)という「回向門」の言葉に着目した。この大悲心は、『浄土論』の展開として一応は、五念門(ごねんもん)を修行して浄土に生まれて往(い)こうとする存在に課せられた問題である。しかし、大悲とあるのだから、曇鸞の教示をくぐったからには、「衆生縁」しか感受できないような衆生、つまり善男子善女人(ぜんなんしぜんにょにん)の起こし得る心とは言えない、と親鸞はいただいた。一切の善男子善女人を浄土の功徳に触れしめようとする「大悲回向」の心、それは如来の分限にのみ可能な心に相違ないのだ。それを『無量寿経』には法蔵菩薩の永劫(ようごう)の修行と語っているのである、と。
 五念門の第五番目の回向門を天親菩薩は「利他」であり、それに先立つ四門は「自利」であるという。しかし、自利を成就して利他が成り立つし、同時に利他を成就してのみ自利が成り立つのだと、繰り返して押さえられている。だから五念門は、一歩一歩、未成熟の菩提心を、時間をかけて成熟させていくということを表すものではない。曇鸞が言っているように、菩薩道の十地(じゅうじ)の展開は、この世の人間に教えるために、一歩一歩進展するように説いているにすぎないのだ。
 ところが、このことをわれらはとても理解しがたい。われらの日常は、時のなかに少しずつ変化したり、熟成したりすることを生活内容としている。一気に、時を破って大木が出てくるなどという『浄土論註』の譬喩(ひゆ)は、ほとんど神話としてしか理解できない。これを如来が果上の功徳を因位(いんに)のわれらに付与することを表すのだということは、いったい何を語ろうというのか。無縁の慈悲にしろ、他力の回向にしろ、この世の因果しか体験できないわれらには、とても考察不可能なのではないか。
 ここに、親鸞が出遇(であ)った他力の救済の不可思議さがある。実はこれは、われらのこの日常の経験の根底にある「不可思議」なる事実に目覚(めざ)めよと、いうことなのである。これを空間的に表現するから、この世の時間空間ではない「彼(か)の土」というほかないし、これを生み出す力を努力として語るから、法蔵菩薩の永劫の修行というしかないのである。だから、浄土の荘厳(しょうごん)とは、われらの存在の背景ともいうべきことを、われらの根源の場所として、表現しようということだったのではないか。(2006年12月1日)
最近の『今との出会い』一覧
Backnember ページトップへ
濁浪清風今との出会い研究活動報告出版物紹介講座案内バックナンバー一覧
親鸞仏教センター
MAP
親鸞仏教センターfacebook

親鸞仏教センター [真宗大谷派]<br>〒113-0034 東京都文京区湯島2-19-11
TEL 03-3814-4900 
FAX 03-3814-4901 
mail:shinran@higashihonganji.or.jp
 
掲載の記事・写真の無断転載を禁じます
Copyright©The Center for Shin Buddhist Studies. All rights reserved.
ホーム 親鸞仏教センター概要 講座のご案内 スタッフ紹介 バックナンバー一覧 リンク サイトマップ アクセス