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濁浪清風
場について(15)
 昨年(2006年)10月に行われた親鸞仏教センターの「親鸞思想の解明」シンポジウムでは、「場の研究所」を主催しておられる清水博先生(東京大学名誉教授)をお招きして、科学と宗教の接点を探る試みをした。清水先生は、現代の文明の状況をもたらした科学技術の現状と将来の展望には、そのまま座視しておくことができない危機を感じておられる。いままでの科学の論理を、「認識論的論理」であるというなら、これからはこれに「存在論的論理」を組み込む必要がある、もしそれをしないなら、人類は地球もろとも、滅亡を速めていくしかないのではないか、と言われるのである。
 この存在論的論理と「宗教的自覚の論理」とに、深い関係があるに相違(そうい)ないと睨(にら)んでおられるようである。認識論的論理とは、人間の意識の対象を合理的に分析したり、そこから人間に都合がよい部分を取り出して利用したりする発想であろう。実際の存在の事実は、人間を包んではたらく大自然の営みであり、合理化され、対象化される以前の大きなはたらきである。人間に解釈されうる部分はそのほんの一部であり、人間がその一部を操作しすぎることによって、大自然の営みにひずみが生じ、自然の時間が存在の大きな成り立ちを修正し、回復していくよりも、それを崩壊してしまう程度にまで、技術の応用が進展してしまっているのではないかということなのであろう。
 仏教では、人間の理性の営みに、無条件の信頼を置くことはなかった。人間の思考には「無明(むみょう)」が蔽(おお)っている、と自覚するように教えてきた。この無明とは、真実の存在を自覚させないはたらきである。その正体を「自我の執心(しゅうしん)」であると押さえたのが、仏陀の智慧(ちえ)であった。いかに勝れた人間の合理性であっても、人間的な偏頗(へんぱ)性を逃れられないのである、と。
 人間の合理性があらゆる事象を対象化することを前提にするものが、科学的方法なのであろう。それ自身の危険性をいかにして乗り越えられるのか。これが清水先生の「場」への提言であり、宗教とも接点を求めようとする激しい情念なのではなかろうか。先生の思索の根源には、未来の人類への愛情と現在の状況への深い危機意識があり、ひとたびこれに触れると、論理の難解さを超えた同感を感じるのは、愚生だけではあるまい。(2007年2月1日)
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