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濁浪清風
「宿業」について(1)
 『歎異抄』に「卯毛(うもう)羊毛(ようもう)のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業(しゅくごう)にあらずということなしとしるべし」(第13条)という文がある。親鸞の言葉として、唯円によって書きとどめられているものである。しかしながら、現存する親鸞自筆の書き物のなかには、「宿業」という言葉はない。ただし、「業」という言葉やこの語のついた熟字は、無数に見いだされる。それでは、業と宿業とには、どういう差違があるのだろうか。
 一般的には「宿」という字が乗ることによって、過去からのはたらきを強く指示することになる。そもそも、「宿世」とは「過去世」を表す言葉である。これは、いのちの状況を異にしながらも、繰り返してこの世のいのちに現れるという「輪廻(りんね)」の思想を根拠にした言葉である。そして現世の存在状況には、先世(ぜんせ)の行為経験の結果という意味が乗っている、ということである。単なる運命ではなく、自己の命の背景に自己の見えざる過去の責任が乗っているという思想である。この理念が、数千年にわたってインドのカースト制度を強固に支え、未(いま)だに民衆の生活には、生まれによる不平等が、厳然と維持されているのである。
 この理念を保持する信念が、ヒンヅー教という名で統合されている神々の宗教であり、階層と神々とが対応していて、現実の職業にまで隠然(いんぜん)たる力を加えているらしいのである。出家修行した釈尊に、いかなる疑念が萌(きざ)していたかは知る由(よし)もないが、釈尊の獲得したさとりの智慧には、この現世の不条理を破りうる原理が見いだされていた。すなわち、過去世の業縁(ごうえん)を引き受けて差別的状況を生きざるを得ないというのは、先世の業を背負う「アートマン」(自我)である。これを解体しうるなら、一挙に無始已来(むしいらい)の業報からの解放が見えてくるのではないか。
 無我のさとりは、かくして個人の解放という事実に止まらず、差別的状況を脱出できない思想的しがらみを摧破(ざいは)し、人類解放への思想的な基点にもなりうるのである。(2007年10月1日)
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