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濁浪清風
「宿業」について(2)
 宿業(しゅくごう)からの解放が、牢固な階級的枠組みを解体する基点になる可能性はある。しかるに、『歎異抄』はわれらの一挙手一投足は、宿業にあらざるはないという。これは、われらの存在に背負わされた「業」の重荷から、逃れるすべなどはない、というのであろうか。
 仏陀が示したように、われらを纏縛(てんばく)しているものから完全に解脱(げだつ)しうるなら、自己に背負わされている過去の一切の業の蓄積からの解脱も、当然獲得できるのであろう。しかるに、親鸞の自覚では、われらは一歩たりとも煩悩の淤泥(おでい)から足を抜くことはできない。煩悩具足の身には、罪濁(ざいじょく)から身を離すことなどありえない。だからして、自己の背景たる宿業も一瞬たりとも離れ去ることなどできない。では、われら凡夫には、苦悩の実存を超える道はないのか。いや、そうではない。そこに開かれている道が、本願力(ほんがんりき)による救済なのだ、というのである。
 浄土教は、業報(ごうほう)の存在に対して、法蔵菩薩の願行(がんぎょう)を対置し、報身報土(ほうじんほうど)を開いて、業繋(ごうけ)が除かれることを表している。自力の修行や学問の成果で、大涅槃(だいねはん)を獲得(ぎゃくとく)するという道ではなく、罪業深重(じんじゅう)の愚かな存在であるにもかかわらず、大悲の願心の功徳を信受するとき、大涅槃が必然としてわれらの未来に開示されて、業報の身のままに業繋がその縛(しば)りの力を失うというのである。すなわち、有限のわれらがそのまま無限になろうとするのでなく、有限を摂してはたらいてくる無限大悲に身をまかせて、障(さわ)りを障りとしない「無碍(むげ)」の光明に照らされつつ生きていく、というのである。現世において、有限を無限にするという絶対の深遠を突破したり、その限界を解決してしまうのでなく、有限は有限でありつつ、未来からの無限の用(はたら)きを信じて、有限の全力を尽くして、それぞれ相応の仕事をさせていただく道があるというのである。
 この大悲のはたらきに寄託(きたく)するとき、業報はむしろ自己の存在を他に変えることのできない尊厳性の意味となる。針の莚(むしろ)のような現前の苦境は、二度とない一回限りの生死巌頭(しょうじがんとう)の事実となる。もちろん、人為的な操作や努力で変更したり変革しうる苦境は、有限界内の事態として解決すべきところを解決していくべきであろう。いま言うところは、その有限の限界を超えるところの問題である。あるいは、そういう有限の事態の根底にある本質に関わる問題だと言うべきかもしれない。(2007年11月1日)
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