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濁浪清風
「宿業」について(10)
 法藏菩薩の願心には、「志願無倦」と表現されるような、止むことのない願心の持続があるという。これを大願業力ともいう。願が業といわれるような、持続する力といえるようなことだというのである。
 法藏菩薩という名が、我ら一切の衆生の救済を念じ続ける願心を示すものであり、その願心が、人間の深層的な暗部に行為経験の結果が蓄積されるごとく、宗教的な解放への意欲の可能性をささやき続けるというのであろう。
 自業自得がこの世の因果である。この場合の業は、自我の意欲から行為を選択することによって、その結果が自己の存在の深層に刻み込まれる。自らこの世のつとめを生きて、その結果を自分が引き受けつつ、自分になっていくのである。しかし、その因果を作り出す因そのものを、自我の思いで捉えているところに、身動きできないような固着がある。すなわち阿頼耶を自我だと執着する末那識に執蔵されて、業の繋縛を蓄積しているのである。
 そしてその因に与えられる縁についても、自我が勝手に選び取れるような思いが抜けない。縁を偶然のものと感じるものの、その縁を自分で選べるのだと思っているから、そうできない場合は不運であり、不遇であると苦しむのである。
 我らの心身は、自我の思いのごとくに生まれ出るのではない。遠く深い因縁の背景を賜わって、この世に、そしてこの時間に、心身を受けるのである。そして、あたかも偶然のごとくに、生きるための諸縁が恵まれてくるのである。この深い因縁を感受する自己には、与えられる縁は、遠い宿縁のもよおしである。ここに偶々命を感受するものは、遠い因を感謝し、深い縁を頂いたものとして、この苦悩の実存を引き受けることができる。すべての歴史的な因縁の結果を、全面的に引き受けている主体を、異熟なる阿頼耶識というのであろう。それを真に尊い主体とする自覚が、法藏菩薩の意味なのではなかろうか。(2008年7月1日)
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