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濁浪清風
親鸞一人(6)
 自利利他ということは、大乗仏教の標識であるというだけのことではない。生きているということに与えられている根源的な意味なのであると思う。我ら凡夫はそのことには全く気づかずに、何よりも自分が自分で生きているのであり、自分がともかく利益を得ていければ幸福なのだと思いこんでいる。その自分本位の生き様をさまざまな要素で顕(あら)わにしているのが、人間の社会であり、これを仏教では「娑婆(しゃば)」というのである。
 先に触れた「阿頼耶識(あらやしき)」の問題に、人間の中に人間として生存するということがあった。人間は人間の間に生存するものである、ということは『人間の学としての倫理学』(和辻哲郎)で教えられたことであるが、他心智(たしんち)ということが神通力の一つとして数えられるのも、このことが実は一番困難な課題でもあるからではなかろうか。人間はそもそも、共同体の中に生まれ落ちる。そして、共同体の一員として言葉を教えられ、挨拶や倫理的な善悪も身に付けていく。そして、他から見られていることに自己の位置や意味さえ感じるようになっていく。他からどう見られているかに、自分が一喜一憂する存在となるのである。
 この構造には、先に述べた自利利他の満足が課題として与えられているということが、潜(ひそ)んでいるということなのではないか。他の成就なくしては、自己の成就はないということが根底にあることから、他からの批判や評価によって、自己自身の自己評価も動かされるということになるともいえよう。
 しかし、他人は多数あるとともに、他人の深い心は自己にとっては本当のところは見えない。その深みを見通す力を、仏陀は神通力として使って、それぞれの衆生に応じて説法教化するというのである。我ら凡夫としては、見えない他人の目に振り回されるのはつらいが、それを無視することは倫理にもとることになる。その狭間(はざま)に苦しまざるを得ないのである。
 この隘路(あいろ)を突破する方向を求める試みが、「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)」という思惟の沈潜にあるのでもあろうか。この思惟の課題を自己の存在の成就との関わりで引き受けた言葉が、「ひとえに親鸞一人がため」なのではなかろうか、と思われるのである。(2009年1月1日)
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