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濁浪清風
親鸞一人(10)
 「親鸞」という名の背景に「天親・曇鸞」の学びがあるのだが、三十三歳までにはそれがなかったのではないか、という考えがある。そもそも、宗祖親鸞の比叡の山での学びについて、研鑽の証拠がないと考えられているからである。しかし、和讃に「善導源信すすむとも 本師源空いまさずは 片州濁世(へんしゅうじょくせ)のともがらは いかでか真宗をさとらまし」ということがある。この和讃の語る実感とは、親鸞にとっての回心を引き出した源空への感謝の表明であるとともに、比叡の山での浄土教の学びが如何に熾烈であったか、それでも本願への帰依を獲得できなかったという事実を示唆していると言うべきではなかろうか。そして、「信心同一でないのなら、法然が参るべき浄土へは、往けないぞ」とまで言われた師法然の言葉を、『歎異抄』には記録されている。この問題が「方便化身土」の問題として、考察されていったと考えられることであるが、その化身土の名「懈慢界(けまんがい)」を源信の『往生要集』からいただいたのだ、と「化身土巻」に記している。こういう気づきができるということは、若き時代に善導・源信を始めとする浄土の教学を徹底的に追求していたからであったに相違ない。
 さらにいうなら、「行巻」に引かれる慈雲の言葉や法照の文、あるいは新羅の憬興(きょうごう)などの経典解釈の文などは、比叡のころの研鑽からきているに違いない。源空門下になってから、専修念仏ではない立場の解釈を研究するなどということは考えられないのではないか。
 さすれば善導・源信がしばしば引用する『浄土論』や『論註』も、若き親鸞は精読していたと考えても良いのではないか。ともあれ、信心同一の根拠を「本願成就」という原理と、『浄土論』に表された本願力回向によるということとを、夢の告げを受けるような激しい推求を通して、考え尽くしていったのだといただけるのではないであろうか。「回向を首として大悲心を成就するがゆえに」という言葉に、「大悲心」への深い感動を感ずるとともに、そのことをなかなか肯(うなづ)けなかった自分の自力の執心の根深さに、いよいよ慚愧(ざんき)の念を自覚していったのであろう。それが「弥陀の五劫思惟の本願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」というつぶやきとなったのではなかろうか。(2009年5月1日)
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