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濁浪清風
生きている「場」の展開
 「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と『歎異抄』にいわれる「親鸞一人」について考察してきたが、この「親鸞一人」を支えている本願は、十方衆生に平等に呼びかけている願いである。それを「一人がため」と受け止めるのは、一切衆生の平等の大地を、今、立っている場所が自分にとっては自分のためであるという感受なのであろう。この場所を、大悲の如来の側からすくい取るべき衆生へ語りかける願いの展開として記述する営みが、本願の言葉を四十八願として開いた意味であろう。場を記述する場合の数は、経典によって異なるし、『浄土論』でもまた別の記述の形を取っている。願には二十四もあるし、三十六もあるし、四十八もある。『浄土論』では二十九種の荘厳(しょうごん)に開かれている。
 四十八願に開かれているのが、親鸞が「真実教」と見抜いた『大無量寿経』である。この願の内容を成就して浄土(願に報いて完成した世界ということを報土〈ほうど〉という)を建立する物語が、浄土教なのである。だから、願が自己のためであることは、とりもなおさず、報土が自己のためである、ということと別ではない。ただし、「土(ど)」といってしまうと、固定した環境をイメージさせる面が強い。願というと、救われざる衆生を救いたいと呼びかけている用(はたら)きが感じられる。その願の強いはたらきを、衆生が立ち上がることができる場所を与えて、平等に自立できるように語りかけているのである。立ち上がって生活する時の生活内容やそのための必需品、あるいは衆生自体の能力などを、完備するかのように願を展開しているのである。
 しかし、衆生を救う願いといっても、いうまでもなく仏陀が衆生に呼びかけるのは、成仏する以外に衆生の真実の救いはないということであるから、成仏するための生活を完遂できる場所を開くということなのである。その成仏とは、人間としての個人の苦しみや悩みを乗り越えるのみでなく、他の衆生の苦悩をも救って、共に成仏していけるようになることである。そういう仏陀と同じ願をもつ存在になって、衆生を仏陀にしていくような生活を与える場所が報土だというのである。浄土の教えは、そういう願を共同することを呼びかけているのである。(2009年6月1日)
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