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濁浪清風
生きている「場」の展開(7)
 「信の一念」のことに触れたのだが、『大無量寿経』の本願成就の文に「乃至(ないし)一念」とあるのを、念仏の行為をたとい一回なりとも行うという意味(行の一念)のみに限定したのでは、先回書いたように、行ずる立場や状態によって行の功徳や意味がどうしても異なりを残して、それを超えることが困難であるということから、誰がいかなる状態であろうとも平等の功徳に与(あずか)るはずの如来の願いを明らかにするために、「一念」に如来の回向による「信の一念」という意味を、親鸞は掘り起こしたのではないか、と思う。
 その信の一念には、善導の「横超断四流(おうちょうだんしる)」といわれるような意義があることを、「信巻」に明らかにされた。その四流とは「生老病死」の四であり、あるいは欲暴・有暴・見暴・無明暴の四であるとも言う。すなわち我らの迷妄の人生の一切を四流で代表し、それを「横さまに」断絶するような意味が、「信の一念」ということによって、我らに開かれるのだ、と言うのである。
 このことと関連して、「行巻」に「絶対不二の教」と「絶対不二の機」と書いてあることが注意される。念仏と諸善をさまざまな対応概念で比較相対して、「絶対不二の教」であることを言い、また、人間の機類を相対して、金剛の信心が「絶対不二の機」であることを言う。この対応を、『愚禿鈔』にも出しているのだが、『愚禿鈔』においては絶対不二の教と機との間に、本願成就文の「願生彼国(がんしょうひこく) 即得往生(そくとくおうじょう)」についての独自の了解を挟んでいる。
 人間の能力や努力が常に相対的であるのに対して、本願の教えが、「絶対」の意味をもつことを表すのが「絶対不二の教」ということであろう。教が絶対の意味を表すとき、その教えによってそれに触れた凡愚に、「絶対不二の機」という意味が与えられる、ということを示すのである。その絶対の教と絶対の機との間に「願生・得生」という「往生浄土」を内含する言葉を挟んでいる。これは親鸞が、本願による凡夫の救いである「往生浄土」の事実が、実は信心によって絶対不二の機として成り立つということを明らかにしているのである。この「願生彼国 即得往生」を、善導の「前念命終(ぜんねんみょうじゅう) 後念即生(ごねんそくしょう)」に対応させ、「本願を信受するは、前念命終なり」と言い、「即得往生は後念即生」であると記し、それを上段に書いて、その下段に「即入正定聚之数(すなわち正定聚の数に入る)」「即時入必定(即の時必定に入る)」「又名必定菩薩也(また必定の菩薩と名づくるなり)」と記入している。この上段の信念の内実たる「願生・得生」によって、教が機のうえに成就し、浄土の功徳が凡夫に与えられ、「正定聚・必定菩薩」という位が信心の行者の事実になるのだ、ということを表しているのである。(2009年12月1日)
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