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濁浪清風
生きている「場」の展開(8)
 この世界に生存を与えられるということは、近くは両親の出遇いによって、子として誕生することである。その両親が出遇うということの背景には、両親のそれぞれの生存もまたその両親の親の出遇いがあって与えられるということがある。それをどこまでもたどっていくなら、「無始以来」といわれるような神話的時間の背景を、われわれの個の実存は与えられているということになる。「無始よりこの方、乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染(えあくわぜん)にして」と親鸞が語る自覚には、かくのごとき自己の背景が付帯しているという感覚があるのであろう。
 その深い背景であるような時間を「竪に」超えるということは、この時間を過去や未来に延長するような方向を、その方向に添って「超越する」ということなのであろうか。だとすると、いわば、自分の時間感覚の延長でありながら、それを超越するということなのではないか。
 それに対して、「よこさま」に超えるということが、「本願力による」超越であるとは、そういう人間的感覚の延長とは異質の方向を示しているのであろう。我らの「罪悪生死の凡夫」としての世代を重ねた時間を超えてみても、またまた「生死流転」の身を受けるのであり、それを超える方向で、いのちの形としての身を受けることはできない。つまり、個として死んでみても、方向を転ずることはできない。そこに、まったく異なる方向からの、つまり「よこさま」の力がはたらくことによってのみ、生死を「よこさま」に超える方向があり得るのだというのが、「横超断四流(おうちょうだんしる)」なのではないか。その「よこさま」の力が凡夫にはたらく場を、大悲の願力は「本願の報土」として呼びかけているのである。願力所成(しょじょう)の報土といわれる所以である。一切衆生を平等に助けたいという願が、「よこさま」の力の場を、一切の凡夫を場の力のなかで「機」として成長させ、仏者と成らせようとするのである。その場のはたらきを、本願力として現在に感受するなら、その時に神話的時間をも突破して、現在の一念に無始以来の「永劫」の時に匹敵する「兆載永劫(ちょうさいようごう)」の法藏菩薩の修行の恵みを賜るということが、「絶対不二の機」の自覚なのではないかと思うのである。 (2010年1月1日)
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