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濁浪清風
生きている「場」の展開(10)
 「場」ということで「浄土」のもつ現代的な意味を考えようとしているのだが、もともと『大無量寿経』の浄土は、法蔵願心が衆生救済の悲願を成就すべく「五劫思惟(ごこうしゆい)」し「兆載永劫(ちょうさいようこう)」に修行して積み上げた功徳によって「荘厳(しょうごん)」した場所である。その物語の意味を、衆生にはたらくものとして仏の名を案じ出し、その名によって衆生に届けようとするのだ、といただいたのが親鸞の回向の理解だったのではないか。大悲が「回向を首として」衆生にはたらくのだということは、悲願が荘厳した功徳を、名の意義に包含して衆生に回向を通して届けるのだ、ということであろう。
 その届けられる場が、本当に我らの場になってこない、というのが現代の我らの問題である。名がその意味を現代生活に対して十分に表現していないのか、意味発信はしていても受け止める側の受信装置に波長が合わないのか。この問いは、たぶん両面に問題があるとしか言えないのだろうと思う。音は出ていても、聞く耳にその波長が聞こえない時代なのであれば、やはり聞こえるような波長を発信すべきなのではないか。
 死後の異次元空間として一般に定着してしまった「あの世」としての浄土を、「化身土(けしんど)」として批判しそれを超えさせて、本願力に信託するなら名号の信心に浄土の功徳たる「真如一実の功徳大宝海」を身心に満ちあふれるようにいただけるのだ、と親鸞は言われた。この意味を真に現代人の精神のふるさととしての「真実報土」として開示していきたいと思うのである。そのために、「はたらく場」としての浄土ということを、生命科学的な「場所」との対応を通して、考えているのである。
 凡夫が生きているこの濁世は、確かにいかに掃除をしてみても純粋な場所にはならない。だからといって、真実の救済の場を死後にもって行ってしまうのは、無為法(むいほう)とか一如とかを死後の話に追いやることでもある。我らのいのちは諸行無常で有為転変(ういてんぺん)の「いのち」ではあるけれども、その本来のあり方は仏陀の智見から見るなら一如だというところに、正覚から教法が説き出されるとされる意味がある。だから、有為と無為は同次元でぶつかる矛盾概念ではない。いわば、有限と無限の関係の如く、低次元を高次元が包んでいるのであって、それを低次元の延長上に取ってこようとするなら、有限の延長上に(つまり死後に)夢見るしかなくなるのである。
 宗教的な時間とは、この有為と無為の矛盾を同時に一念に立体的に体感することなのではないか。だから、「死して生まれる」とか「前念命終(ぜんねんみょうじゅう)・後念即生(ごねんそくしょう)」という表現も、実体的に身が死ぬことをいうものではないのである。(2010年3月)
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