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濁浪清風
「願に生きる」ことと「場所」の問題(2)
 先回から、親鸞が『正像末(しょうぞうまつ)和讃』をお作りになられたということについて、聖人の信心と末法濁世との関わりを考察し始めた。その手がかりの一つに、この和讃の草稿段階では、「弥勒(みろく)菩薩」の和讃から始まっているということを述べた。「弥勒菩薩」とは、「未来世」の衆生への大悲を呼びかける名前である。
 『大無量寿経』では、下巻の「弥勒段」に親鸞が「行の一念」と名付けている大切な文章がある。ここの一念は「弥勒付属の一念」とも言われている。名号を信ずる者に、「大利」であり「無上功徳」でもあるような利益を恵むことを表して、その名号を未来世の衆生の代表として、弥勒菩薩に付属するということを語っている一段である。この文に先立って、この世界から、六十七億の不退の菩薩がかの仏国(浄土)に往生していくことを語り、この菩薩たちは「次いで弥勒のごときの者なり」(『真宗聖典』84頁、東本願寺出版部 以下『聖典』と略記)と述べてあって、これを親鸞は「信巻」(『聖典』249頁)に引用しておられる。
 これによって、未来世の衆生が念仏の信心においていただく位が、弥勒と同じ「等正覚(とうしょうがく)」であると、親鸞は確信しているのであろう。いうまでもなく、この功徳は如来の「回向」によって衆生に施与されるものであり、衆生自身の努力や行為でつくることではない。
 この「等正覚」は異訳の『無量寿経』による言葉であり、正依では「正定聚(しょうじょうじゅ)」となっている。つまり信心の人は、弥勒と同じく「等正覚」つまり「不退転」あるいは「正定聚」の位を現生に獲得するのだというのである。このことは、繰り返し、いたるところで、親鸞は語っているのだが、この弥勒の名によって、『正像末和讃』を語り出すということに、何か信心の人が本願の信心をもって濁世を生きるという課題について、親鸞は語り出したい事柄があったのではないか、と思われるのである。
 本来は浄土の功徳として語られている「正定聚」を、現生の利益とすることは、『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』の「聞名不退」と曇鸞の「妙声功徳」の釈文によるとされているが、実は本願成就文の後半「至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転 唯除五逆 誹謗正法(至心回向したまえり。かの国に生まれんと願ずれば、すなわち往生を得、不退転に住せんと。唯〈ただ〉五逆と誹謗正法〈ひほうしょうぼう〉とを除く)」(『聖典』233頁)を「本願の欲生心成就の文」であると読むことによって、如来回向による功徳が「不退転」なのだから、凡愚が回向に値遇するところに不退転が与えられるのだ、ということを知らねばならない。それによって如来回向による功徳を信受するなら、浄土の利益は自然に現生の凡夫にもたらされることを、うなずくことができるのである。
 その正定聚の生活は、この末法濁世を生きる場所とすることを、必然的に課題としなければならないのではなかろうか。(2010年7月)
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