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濁浪清風
「願に生きる」ことと「場所」の問題(3)
 正定聚(しょうじょうじゅ)と定まった位をいただいて、この現世を凡夫として生きていくことを、仏弟子の積極的な意味として明らかにしようとしたのが、親鸞の「欲生心(よくしょうしん)の成就」という言葉で表したかったことなのではないか。しかしながら、「末法」という時代に生きるものは、その生死の場所が、五濁悪世であることをいやというほど知らされる。その末法の危機感を引き受けて、しかも喜びと共に生きていくことができる信念を、「真実信心」として獲得できるということを、正定聚の位を現生(げんしょう)にいただくのだということで、宣言したかったのではないか。
 親鸞においては、五濁増(ごじょくぞう)の実感は我が子善鸞にからんで、ことに深かったのではなかろうか。関東の門人達の間の争論の質が、如実に利害関心を伴っての教義争いであったであろうし、自分の名代として使わした善鸞が、あろうことか、新たな争論の中心になっていってしまい、やむなく親子の縁を切らざるをえないという事態になったのであり、その事件を背景にして、『歎異抄』の第二条の「十余か国のさかいを越えて」はるばる関東から門弟が親鸞を訪ねてくるようなことにもなっていたのであるから。
 そのなかで『正像末和讃』が構想されていき、その途上で「夢告」に出遇うのである。
弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり
との和讃を夢で受けて、「うれしさに書きつけまいらせたるなり」と記し、「康元二歳丁巳(ひのとのみ)二月九日夜寅時」と日時までも記している。善鸞義絶事件の次年の二月初旬のことで、親鸞八十五歳のことであった。
 しかし親鸞は、弥勒菩薩を主題として始めた『正像末和讃』を、五濁を表している和讃を初めに置くように編輯(へんしゅう)し直しているようである。その場合に、五濁のいちいちの内実を『安楽集』が取り上げる『大集経(だいじっきょう)』の言葉によって、その意味を押さえ直して、衆生濁・劫濁・煩悩濁・見濁・命濁のそれぞれをあらわし、第十首目から、
  末法第五の五百年 この世の一切有情の
   如来の悲願を信ぜずは 出離その期(ご)はなかるべし
  九十五種世をけがす 唯(ゆい)仏一道きよくます
   菩提に出到(しゅっとう)してのみぞ 火宅の利益は自然(じねん)なる
  五濁の時機いたりては 道俗ともにあらそいて
   念仏信ずるひとをみて 疑謗(ぎほう)破滅さかりなり
と言って、末法濁世の悲しみにおいて、「仏の一道」をいよいよ明らかにする外に道はないことを詠(うた)っているのである。
 こういう末法の抜きがたい汚辱(おじょく)を見つめつつ、「火宅の利益」を生きていこうという志願が、「正定聚」の位を生きる現生の内容なのだということなのではなかろうか。(2010年8月)
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